遥かなる「知」平線

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ロシアの森に消えた天才数学者

「証明が正しければ賞は不要だ」

「しかしこの問題は、我々を遥か遠くの世界へと連れていくことになるだろう」

(グリゴリ・ペレルマン
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2002年の秋、インターネット上に一つの論文が現われた。
そして、それに続いて数名の数学者のもとに、以下のようなメールが届いた。

2002年11月12日(火)AM5:9
差出し人;グリゴリ・ペレルマン
件名;新しいプレプリント
(要旨)
「リッチ・フローに対する単調性公式を与える。それはすべての次元で、しかも曲率についての仮定なしに成立する。これは、ある種の標準的な集合のエントロピーとして解釈し得る・・・・・」

世紀の瞬間は、このように静かに現われたのである。

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「検討しなければならない問題が最後にひとつ残っている。基本群が同相に置き換えられても、単連結体にならない可能性はあるか?」
位相幾何学』という論文の最後で、投げかけられている問いである。

「単連結な三次元閉多様体は、三次元球面と同相といえるか」
1904年、フランスの数学者・哲学者 アンリ・ポアンカレ50歳のときの、いわゆる「ポアンカレ予想」として知られる数学的表現である。

専門家がその意味を一般的に「分かり易く」解説すると、次のようになる。

誰かが一本のロープを持って宇宙一周旅行に出る。旅を終え、地球に無事に戻ってきて、宇宙にグルリと巡らせたロープをたぐり寄せて回収できるなら、宇宙は丸いと言えるはずだ。(パリ・オルセー大学名誉教授 ヴァレンティン・ポエナル博士)

これが、100年間、数学者たちを悩ませ、2000年にクレイ数学研究所が発表した7つの未解決問題、「ミレニアム懸賞問題」の一つに選ばれていたものである。
解決者には100万ドルの賞金が支払われるとされていた。

論文にもメールにも、「ポアンカレ予想」を解決したとはどこにも書いてなかった。すでに29歳で「ソウル予想」を解決し、高名な数学者となり、アメリカで、数々のポストのオファーがあったにも関らず、アメリカから姿を消したペレルマンの再登場であった。

「ひょっとして、あなたはポアンカレ予想を解決したのか」と、問われた時だけ「そうだ」と答えた。
そして、「この証明が正しいと検証されるまで、1年半はかかるだろう」と言ったのだ。

その分野の4人の専門家が、査読と検証を開始した。
そして、彼の予言通りにその1年半後、どうやらその証明は正しく、ポアンカレ予想は解決したらしいと判断された。それは、強靭な頭脳のなせる「完全なる証明」であった。

その後ペレルマンは、アメリカで数々の講演を行った。しかし、途中マスコミの心ない報道に怒り、そしてまたMITやスタンフォードからのポストオファーを全て断り、クレイ数学研究所の100万ドルの懸賞金も、2006年のフィールズ賞も受取らず、再びロシアの森に消えたのである。
以後、世界の数学者達からのメールにも答えることもなく、姿を消し、世俗との交渉を断ったのである。

「彼はもはや、歴史上の偉人のように手の届かないところへ行ってしまいました。…彼の生きている世界は、私たちが生きている世界とは、もはや違うようです。…試練を彼はひとりでくぐり抜けました。しかしその結果、彼は何かを失ってしまったのです。」
(アブラモフ;ペリルマンの高校時代の恩師)

14歳で、国際数学オリンピック銀賞獲得に始まり、その後満点での金賞、以来、数学だけの世界で、問題を解くことにだけに彼の時間は捧げられたかのようだ。
「問題を解く」ために生まれ、この世の栄華にも、才能に相応しい境遇を享受することもなく、きっと今もどこかで「問題」に向き合っているのかも知れない。
またいつの日か、インターネット上に彼の論文が現われる日が来るだろうか。

ポアンカレの、論文の最後には、こう書かれている。
「しかしこの問題は、我々を遥か遠くの世界へと連れていくことになるだろう。」
ポアンカレ予想は、予言通り、ペレルマンを「遠くの世界」へと連れ去ったのである。

 

(参考文献)
春日真人 『NHKスペシャル 100年の難問はなぜ解けたのか』 NHK出版2008年
マーシャ・ガッセン 『完全なる証明』 青木薫・訳 文芸春秋 2009年

(注)お願い;もちろん筆者は、数学の専門家ではありませんので、このポアンカレ予想についての内容や証明に関してはほとんど理解できませんでした。ですので、これについての質問はなさらないで下さい。
ただし、数学の愛好家ではあります。いずれ、『リーマン予想』をめぐる数学者たちの話や、『フェルマーの最終定理』を証明したワイルズについても書きたいと思っております。これは、400年に一度の出来事でしたので。

(追記)オリジナル記事の一部を変更し、又画像を追加しています。(2019年4月30日)