遥かなる「知」平線

歴史、科学、芸術、文学、社会一般に関するブログです。

S・レビツキー D・ジブラット『民主主義の死に方』

民主主義には明文化されたルール(憲法)があるし、審判(裁判所)もいる。
しかし、それらがもっともうまく機能し、もっとも長く生き残るのは、
明文化された憲法が独自の不文律によって強く支えられている国だ。

 

共通の基準から逸脱して行動する人に対処する人間の能力は限られている。・・・
不文律がたびたび破られるとき、社会は「”逸脱”の定義の基準を下げる」傾向がある・・・そのとき、かつて異常とみなされたものは正常に変わる。(ダニエル・P・モイ二ハン)

ティーブン・レビツキー、ダニエル・ジブラット『民主主義の死に方』新潮社(2018年9月)

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1989年にベルリンの壁が崩れ、1991年にソ連邦が崩壊して冷戦が終わった時、西側諸国では民主主義社会の優越性を確信した人が多かっただろう。

しかし、世界から独裁政権は無くなりはしなかった。
1990年代になっても、ペルーのアルベルト・フジモリベネズエラウゴ・チャベス、2000年以降もエクアドルラファエル・コレアハンガリーオルバーン・ビクトルポーランドヤロスワフ・カチンスキ、ロシアのプーチン、トルコのエルドアン独裁政権が次々と生まれている。
しかも、その独裁政権のほとんどは民主主義から生まれているものだ。

しかし、アメリカはそんなことにはならないだろう。世界の民主主義国にとってその盟主たるアメリカこそ、民主主義精神の支柱であり、アメリカの民主主義が危機に陥るなどとは考えもしなかった。

当初は泡沫候補と思われていたトランプが大統領になって、「アメリカを再び偉大にする」と言った時、なぜそんなことを言うのだろうと不思議に思った。戦争の混乱や大統領の暗殺があっても、民主主義国として、アメリカはいつだって偉大だったではないか。そう単純に思っていたのだ。アメリカは自らを、もはや偉大な国とは思っていないのか。

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この本は、民主主義の最も強固と思われるアメリカでさえ、民主主義は崩れ去る可能性があるものだと述べている。

軍事クーデターによるもの以外で、将来の独裁者は民主主義から生まれ、民主主義諸制度を壊して独裁者となっていく。その豊富な歴史的事例から、どのように民主主義が独裁制に変容していくか、その手法の類似性を明らかにしていく。

①審判を抱き込む
・司法機関、法執行機関、諜報機関、税務機関、規制当局などの独立性を保つ機関が政権の不正を暴くことのないようする。多くの場合、公務員や非党派の当局者をこっそり解雇し、支持者と入れ替えることによって行われる。
裁判所を支配し、政権に批判的な裁判官を弾劾したり、人数を水増しして政権の意向に沿った裁判官を増やす。或いは、裁判所を丸ごと解体し新組織を作ってしまう。最高裁判所で政府の決定に反対する判決を出させないようにするためだ。

②対戦相手を欠場させる
・選挙で選ばれた独裁者は、対立相手に狙いを定める。対立相手に対し、排除、邪魔、買収を試みる。野党の政治家、野党を支持する企業家、政権に批判的な大手メディア、宗教家、文化人もそのターゲットになる。
・上手くいかない場合、現代では合法性のベールの後ろで抑圧する。侮辱罪、脱税、名誉棄損などで起訴し、政権側に支配された裁判所で裁く。この裁判で(裁判所を抱き込んだ)政権側が負けることはない。

③ルールを変える
・政権基盤を盤石なものにするために、選挙区を恣意的に変更する(ゲリマンダリング)。
・選挙での投票を制限する

 

審判(裁判所、法執行機関)を抱き込み、対立相手及びその支援者を買収し弱体化させ、ゲームのルールを書き換える。
これを合法性のもとに少しづつ推し進めるから、国民はなかなか気づかない。
そして、自らが作り出すことを含め、国家の危機を利用して正当化していく。

こうしたパターンを、豊富な具体的な事例をあげて述べている。

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アメリカの民主主義の基盤には、建国の父祖たちが作った憲法がある。
しかし、よく考えられた憲法があったからと言って、民主主義が上手く機能してきたわけではない。そこには「柔らかいガードレール」というべきものがあった。
つまり、政治に携わる者たちの「相互的寛容」と「自制心」が、民主主義をよく機能させてきたというのだ。

これを失ってしまえば、ライバルは敵になり、党同士の血みどろの戦いになってしまう。長年、お互いに積み上げてきた規範を破り、相手を倒すためには手段を選ばなくなる。

アメリカにおける民主主義変質のきっかけは、1979年ニュート・ギングリッチ共和党の下院議員になってからだと言われている。

政治を戦争とみなし、議会を「腐敗している」と非難し、民主党議員をムッソリーニに喩えるなど過激な発言で注目を集めた。1995年~1999年まで下院議長を務め、ビル・クリントンの不倫疑惑を徹底的に追求したが、あまりにも執拗だったので有権者に嫌われ共和党の支持率が下がったため議員辞職に追い込まれた。

しかしこれ以降、ギングリッチの手法は、議会が混乱しようと手段を選ばない共和党の常套手段になっていく。

民主党支持者が多い選挙区を細分化し、共和党の有利になるよう選挙区を割りなおし、オバマ政権中の最高裁判事の指名を拒否し在任中に指名させなかったりと次々と規範破りをしていった。民主党もこれに対抗するために同じ規範破りで対抗し、「相互的寛容」と「自制心」という民主主義の「柔らかいガードレール」を壊していった。

こうして、トランプ登場の土壌が醸成されていったという。

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本を読み終わったとき、トランプが言った「アメリカを再び偉大にする」という言葉の意味を理解した。

トランプの支持母体である白人キリスト教福音派の人々にとって、移民やマイノリティの影響力が増していくアメリカは、本来のアメリカではなくなったと認識されていたのだ。だから「もうアメリカは、かつてのように偉大ではない」。それが、トランプの言葉となり、メキシコ国境の壁を作る話につながっていったのだ。

しかし、アメリカは移民の国であることに変わりはない。
自由を求める人々のたどり着く場所だ。
アメリカは、多民族の相克から逃れることはできない。

トランプのやり方を批判し、封じ込めようとする共和党議員もいる。先ごろ亡くなったマケインもその一人だった。トランプのやりたいことが全て上手くいっているわけではない。
かつて、他の国で党同士の血みどろの抗争を克服した国もある。
著者たちは、多民族民主主義というアメリカの挑戦に、いくつかの処方箋を示して本書を終える。

共和党が「柔らかいガードレール」や規範を破っていく様は、目を覆うばかりだが、アメリカの民主主義を支えてきた「相互的寛容」と「自制心」がそう簡単になくなるとは思えない。何より、「自由」という強固な共通基盤がある限り、「自分の自由を守りたいなら、他人の自由を尊重せよ」という「相互的寛容」がそこには根付いているからだ。

随分昔に、仕事で40日ほどアメリカに居たが、接した人はみな大らかで自由だった。
彼らの笑顔が忘れられないだけに、アメリカという国が他の民主国家の強固な支柱であって欲しいと願わずにいられない。