遥かなる「知」平線

歴史、科学、芸術、文学、社会一般に関するブログです。

「紙」という技術

こうした物語にすっかり心を奪われた彼は、陽が落ちてから明け方まで、
そしてまた夜明けから夕暮れまで、来る日も来る日も本に読みふけった。
寝不足と本の読みすぎのおかげで脳味噌は干からび、ついに彼は正気を
なくしてしまった。
ミゲル・デ・セルバンテスドン・キホーテ

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コンピューターの仕事をずっとしてきたせいか、科学技術に関する本や雑誌をみると読んでみたくなる。新発売の家電製品の情報から始まり、ブラックホールをついに撮影したとか、新素材が発見されたとか、パソコンもついスペックを確認したくなってしまう。専門的な知識が深いわけでもないのに、科学技術の新しい知見がどんな分野のものであれ知りたくなってしまう。

「仕組み」とか「構造」とか、一つの法則、アルゴリズムに支えられたアーキテクチャーといったものに興味をそそられる。

宇宙・物理・数学・生命以外の広義の技術という内容で言えば、あまり多くの本を読んでいるわけではないが、以下のようなものを読んできた。むろん科学と密接に関係はしているのだが。

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リストの最後にあるが、積読本の中から、マーク・カーランスキー『紙の世界史』徳間書店2016年)を読んだ。最初は科学技術とはあまり関係のない内容と思ったのだが、副題に「歴史に突き動かされた技術」とあったので、「技術」という言葉に反応したのだと思う。

人間は言葉を話し、書き言葉を創り、最初は線描、絵文字そして文字体系を書写素材に書くことを始めた。その書写素材が、岩、粘土板パピルス木簡を経て最も書くのに適したが出来たということになるのだが、もとはと言えば、「話し言葉」「書き言葉」という言語の発明こそが「社会や歴史における機能形態や影響力はテクノロジーと似て」おり、いわば「初代のテクノロジー」なのだと著者はいう。

そして「話すという行為は、最後に紙という手押し車につながる車輪」だったと。

人間の知的探求と国家を運営するための官僚機構の創出が、「知識の普及や交易の拡大とあいまって製紙という技術を生んだ」。産業革命を経て手作業から機械に、書くほうも「印刷」「可動活字」「タイプライター」「ワープロ」「電子式プリンター」と進展してきた。

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よく私たちは、「新しい技術が社会を変える」というフレーズを耳にするが、テクノロジーが社会を変えるのではなく、「社会のほうが、社会のなかで起こる変化に対応するために、テクノロジーを発達」させるという著者の言はそうだろうなと思う。

必要だから「書き言葉」を創り、必要だからその書き言葉を書写素材に残して伝達しようと思ったのだ。それに最もふさわしい書写素材が紙だったというわけだ。

また、新しいテクノロジーは古いテクノロジーを排除しない

コンピュータが一般的になっても、「ペーパーレス」にはならなかった。プリンターもなくならなかった。電子書籍によって紙媒体の本や雑誌・新聞の売り上げは落ちたとしても、基本的には、単に情報提供し読み捨てられる類の紙媒体が、電子媒体にとって替わられ易くなったに過ぎない。

コンピューターの特質が、「計算が速い」こと、「大量の情報を保存する」ことであるなら、この特質と「ペーパーレス」とは本質的には関係がない。

むしろ人間の情報環境が、より適切な媒体に移行するだけであり、より合理的な資源配分がなされているということなのだろう。その意味では、マンガ、新聞、情報誌はネット(電子媒体)へと移行し、従来の本らしい本は残ると筆者も思う。

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紙をめぐって、中国、日本、アラブ、ヨーロッパ、アメリカ、メキシコと壮大な歴史が語られる。紙は人間の経済活動を支える媒体であると同時に、人間の知性を留め広げる媒体でもあった。ルネサンス以降の知の爆発を支えたテクノロジーだった。

ハイデガーは、『技術への問』のなかで、テクノロジーは「目的達成の手段」であると同時に「開示の方法」だという。すなわち、テクノロジーは、最初の独創的なアイディアを開示しているという。

その意味で、「紙」は、「最初の偉大な発明である書き言葉」を開示、つまりは「書き言葉」というアイディアを開示している媒体ということになる。

 

まだ技術に関する本で読んでいないものもある。「暗号」と「アルゴリズム」についての本なのだが、後回しになってしまっていた。そろそろ読んでみようと思う。