遥かなる「知」平線

歴史、科学、芸術、文学、社会一般に関するブログです。

囲碁界の若きヒーロー

「勝ちか、負けか」、
私の首はその一点でしか繋がっていない。

「練習に耐えた自分を信じろ」
努力は裏切らない。・・
ピンチを救ってくれるのは、
普段の練習で得た自信だけだ。
宇津木妙子 『努力は裏切らない』 幻冬舎
元全日本女子ソフトボール監督2000年シドニーオリンピック銀メダル)

大事なのは変だと感じる感性と、
何故だと考える想像力だ。
桐野夏生 『顔に降りかかる雨』 講談社


先日、囲碁界で23歳の井山裕太張栩を破り棋聖となった。これで名人を除き、本因坊天元、王座、碁聖、十段と合わせて史上初の六冠獲得となったのである。

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覇者交代の瞬間。棋聖戦第6局終局直後の井山裕太挑戦者(左)と張栩棋聖
(2013.3.19 読売新聞より)

 

1997年、小学2年生で全国少年少女囲碁大会で初優勝したときから、名前だけは知っていたが、いつのまにか六冠になっていたとは・・・。
囲碁界に、待望の若きヒーローが現れたようだ。

少し前になるが、「森ガール」のことをTV放映していたと思ったら、こんどは「囲碁ガール」を放送していた。若い女性が、瀟洒囲碁サロンで、平安時代さながらに、優雅に対局している雅(みやび)な風景なのだ。

どうやら、囲碁は「高齢者の趣味」ばかりではなくなったようだ。
社会人になってから、囲碁からは離れてしまい、めったに対局することもなくなって、それにつれて囲碁界の事情にも疎くなってしまったが、「囲碁」というキーワードにはつい反応してしまう。ただ、囲碁から離れて久しいので、井山棋聖の棋風は良く分からない。

私が友人たちと碁を打っていた頃は、呉清源木谷実らの時代が終わり、坂田栄男藤沢秀行、その次の世代となる大竹英雄林海峰や木谷門下の俊英たちが活躍していた時代だった。日本が国際棋戦でも無敵だった黄金時代だったと思う。

個人的には、ライバルとの十番碁にことごとく勝ち抜いた呉清源、その鋭い切れ味から「カミソリ坂田」と呼ばれた坂田栄男、「異常感覚」こと棋聖六連覇の藤沢秀行「宇宙流」武宮正樹「殺し屋」加藤正夫、時代を遡れば大仙知、丈和、そして御城碁無敗の秀策らの碁をよく並べた。
特に、武宮正樹の中原に模様を造る碁はとても魅力的だった。
何度、彼の棋譜を並べたことだろう。

布石は戦略、全体の構想を練り、局地戦でのつばぜり合いでは戦術の限りを尽くす。勝負手を放つときの、あの「みぞおち」がキュッと絞られるようなゾクゾク感がたまらず、いつしか「ああ快感」。これを知ったらやめられない。
勝利の天国も、敗北の地獄も我が責任。

大学の頃、友人と囲碁三昧の時を過ごしていた。
お互いの家を訪れ、部屋に籠って長時間、何局も対戦するのだ。
まずは、冬ならば蜜柑にお菓子、お茶のポットを用意し、風邪気味ならばティッシュボックスを傍らに置き、手にはプロ棋士の扇子を持って、いざ「名人戦」。
時間だけはたっぷりと、心ゆくまで一手を考えて、この身はたゆたう「桃源郷」。
ああ、なんて「しあわせ」。
と、相手の一手で正気に戻る。
ちょっと待て!!オレの石が死ぬ!
ダメダメ
なんともしまらない我が身の技量を嘆く。
「ならば、もう一局」
碁敵カモネよ、あれからキミは強くなったか。