遥かなる「知」平線

歴史、科学、芸術、文学、社会一般に関するブログです。

幕末のヒーロー 坂本龍馬

去年のNHK大河ドラマは、「龍馬伝」だった。云わずと知れた幕末のヒ―ローの一人である。
福山雅治が、龍馬を演じたこともあって、人気が出たのだとおもう。ちょっとかっこ良すぎるのでは、とも思ったが、龍馬は、織田信長とともに、もっと長生きしていたら、日本はどうなっていただろう、と思わせる一人だ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
尊皇攘夷派、佐幕派禁門の変以来対立関係にあった薩摩と長州、グラバー商会を通じて英とも通じていた。龍馬自身、尊皇という枠にいながらも、ある特定の思想や立場に拘って、生きたとは思えない。

当時の日本にあって唯一、コスモポリタンであったのではないだろうか。彼に匹敵する視野の広さと高みを持っていたのは、勝海舟くらいしか思いうかばない。

 同じ武士の中でも差別の強かった土佐藩を脱藩して江戸へ出て、北辰一刀流免許皆伝。亀山社中海援隊を率いて英との貿易にも乗り出し、幕府の神戸海軍塾の塾頭までやっている。

禁門の変で対立していた薩摩・大久保、長州・桂と軍事同盟を結ばせて倒幕の推進者となり、船中八策という意見書の中で、大政奉還をいい、そして来るべき日本の政体についても建策し、議会の設立にまで言及している。

同郷の後藤象二郎に、藩主である山内容堂を説得させ、幕府に大政奉還を実現させる。薩長同盟を実現させた後、幕府の長州征伐に遭っていた長州藩に大量の武器を薩摩から運んだりもする。

かと思うと、土佐藩の船「いろは丸」が、御三家紀州藩に沈没させられ、重火器3万5000両、金塊など4万8000両を弁済させている。実際にはそんな荷など積んでいなかったと言われているが、御三家を相手に弁償させる抜群の交渉力は、バックに英国がいて国際法を伝授されたからともいえる。

f:id:monmocafe:20190430132525j:plain

動乱の日本は、多くのヒーローを生んだが、また彼らは若くして命を落とした。
幕府側で言えば、かの新撰組副長、土方歳三34歳。維新後も生き残った二番隊隊長の永倉新八から天才的剣技の持ち主であったと言われた一番隊隊長、沖田総司24歳(結核で没)。

二度の幕府による長州征伐に耐え、長州藩の中でクーデターを起こして倒幕に藩論をまとめる役回りを演じ、奇兵隊を立ち上げ「おもしろきこともなき世に、おもしろく、すみなすものは心なりけり」との辞世の句を残した高杉晋作、享年28歳(結核で没)。

松下村塾伊藤博文山県有朋久坂玄瑞長州藩の幾多の俊英を育て、幕府が無勅許で日米修好通商条約を結んだことに怒り、幕府要人の暗殺を謀ったとして刑死した倒幕の理論的指導者とされる吉田松陰、享年29歳。

京都を追われた長州藩天皇奪回に失敗し、会津薩摩藩禁門の変で敗れた。その時戦死した松陰門下随一の秀才と謳われた久坂玄瑞、享年25歳。龍馬とともに暗殺された中岡慎太郎、享年29歳。そして、近代日本の扉を間違いなく開いた一人である坂本龍馬もたかだか31年の人生であった。

ことある度に、彼らと自分の年齢を比べてしまう。
龍馬の歳を超えてしまった、信長の歳と同じになってしまった、と。そしてそのたびに、生きている「人生の中身」と、「人生の長さ」とは違うのだと思わないではいられない。
短い人生だったが、全力で生きた、悔いのない人生だったに違いない、と。

動乱はヒーローを生む。長い閉塞感に満ちた社会(組織)は、若者たちのエネルギーを蓄える。そしてひとたび、きっかけがあれば、世の中の秩序を超える。

秩序を守る者、超える者、しかし、そんな動乱の現実を生きる者は、自らの価値観、視野の広さと志の高さ、信念、物事を達成しようする執念、その結果としての行動力を現代の私たちに見せてくれる。

そして、これらの若者を支えるものは、この世に生きて立つ者の「誇り」なのではないか。いま、ここに自分たちの歴史を刻む。それが、意味ある人生であり、歴史であるように生きてみたい。

「藩」という境界線を超え、列強という圧力から自由たらんとして、「管理」という枠を超えて、自分たちの存在が価値あるものだと行動で示したいのだ。
既成の秩序・管理の枠を超えることが、「おもしろきこともなき世に、おもしろく」生きる、若者たちの特権である。

そして、私も、と思うのだ。第四回十字軍のシナリオライター兼演出家、聖地エルサレムを奪還するはずが、あろうことか同じキリスト教国のビザンチン帝国の首都コンスタンチノーブルを征服したヴェネツィアの元首エンリコ・ダンドロのように自由に、思ったように、生きてみたい、と。

地域の枠を超えて、「管理や制約」を飛び越えて思う存分生きてみたい。そう思うのは、何も私ばかりではないだろう。若者こそ、そうした想いは強いはずだ。

すでに、維新の途中で倒れた若者の2倍ほどの年齢になってしまった。
彼ら若い世代こそ、次代の支柱であるのに、私たち旧世代はいま、彼らに何を残しているというのだろう。管理強化の先には、魂のない抜け殻しか残らないのではないか。そんな組織や社会に、未来はないだろうに。

長州の若者たちを導いた吉田松陰松井秀喜を支えた、トーリー前監督のようにありたいと思うが、思うようにいかないこの身の不明を恥じるばかりだ。しかし、幕末の若者たちや松井秀喜のようなサムライ同様、君たちもまた次代を拓く「志」と「誇り」をもっていると信じたい。

いつの時代も、既存の「管理」や「枠」を壊し、新しい枠組みを作って未来を拓くのは、若者たちの「理不尽」なエネルギーである。

先のエンリコ・ダンドロが、十字軍をヴェネツィアの船でエルサレムへ運んで欲しいと使節から依頼されたのは、確か80歳を越えていたのではなかったか。なのに彼は、自ら十字軍を導いてヴェネツィアを出発し、ビザンチンへ向かったのだ。
自らの思惑を一人の胸に秘めて・・・。

(追記)オリジナル記事から一部の文章を削除しました。(2019年4月30日)