遥かなる「知」平線

歴史、科学、芸術、文学、社会一般に関するブログです。

ハプスブルク家 その栄光と悲劇

西欧の王室は、ローマ滅亡の原因となったゲルマン民族諸族の有力な一族が、近隣の豪族を併合しつつ、且つキリスト教と結びついて、支配勢力を伸ばしてきたことにその基盤がある。

一族の勢力を万全のものにするために、他のより勢力のある一族と婚姻関係を結び合従連衡を繰り返して、一族の勢力を維持し拡張していった。もちろん、滅んでいった一族も多かったろう。

偶然の幸運が、たまたま地方の一豪族の、周りから警戒されずに権威の象徴にされることがある。

ハプスブルク家は、ルドルフ1世の時に神聖ローマ皇帝位という幸運を手にすることになった。もちろん、その幸運を生かすだけの能力を持っていたがゆえに、一族の隆盛の足がかりを得ることができたのではあるが。

その足がかりを得てそれほど経たない時代に、さらなる勢力を伸張させる者が一族の中から出てくる。

ローマ帝国カエサルの後のアウグストゥスのように、ハプスブルク家では、マクシミリアン1世を、またその次にカール5世を、というように。

ただし、ローマ皇帝は、必ずしも血縁で結ばれて帝位をつないでいったわけではなく、ローマの広い版図から能力のある者を、時の皇帝が選び、養子にして帝位を継承していった。

ハプスブルク家のように、純粋に血縁でつなぐ帝国が、普通なのだろうが、結局どこかで断絶があり、他の王朝に取って代わられるのが普通だ。それでも、ローマやヴェネツィア1000年に比しても遜色のない、650年の長きに渡って王家は存続したのである。

奇しくもルネッサンス期にあって、ハプスブルク家肖像画や、狂女ファナの物語等が、広く今に伝えられていることは、ハプスブルク家の歴史イメージを豊かにしてくれる。

権力と宮殿の豪勢さ、そこに生きた、王族の決して幸せとは限らない人々の姿や表情を、現代の私たちに見せてくれる。

実際、ハプスブルク展を見、本を読むと、なぜか悲劇の様相ばかりが印象に強い。
豪華な衣装や、鎧や、食器類を見ても、その豪華さに関わらず、ヨーロッパの自分たちの版図を守るために、力及ばずに滅んで行ったハプスブルク家の陰の部分が、クローズアップされる。

平凡な人間が、たまたまヨーロッパ最大の版図を支配する家に生まれたことによって、その重圧を担わなければならなかった故の悲劇も多かったろう。

中には、力及ばずとも運命を引き受けたものもいたし、エリザベートの息子のように耐えきれずに死んだものもいた。近親結婚を繰り返したが故に、身体的に弱く短命だった者たちも多い。

マルガリータ、プロスぺロ】

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ディエゴ・ベラスケス≪皇太子フェリペ・プロスぺロ≫

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ディエゴ・ベラスケスとその工房≪王女マルガリータテレサの肖像≫

ルーブル展でみた、フェリペ4世の娘マルガリータ肖像画、同じ年頃の肖像画が、ウィーン美術史美術館の「白衣の王女マルガリータテレサ」。その弟「皇太子フェリペ・プロスぺロ」。作者も同じディエゴ・ベラスケス

マルガリータはしかし、21歳で早世し、プロスぺロも宮廷の鼻つまみとなりながら39歳まで、やっと生きながらえる生涯であった。

マルガリータもプロスぺロも、ベラスケスが残した「可愛らしい」絵とは裏腹に、決して幸せではない生涯を送っただけに、残された絵画はかえって、彼らの哀しみを伝える。一族の犠牲を背負った生涯、それでも、こんなに「愛らしかったのよ」と訴えているかのようだ。

ライヒシュタット公

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トーマス・ローレンス 『ローマ王』 フォッグ美術館

ハーバード大学フォッグ美術館は、確か福岡伸一氏の本の冒頭にも出てきた。
そう思って見た幼い少年の絵。「ローマ王(ライヒシュタット公)」、作者はトーマス・ローレンス。どんな画家なのか詳しくは書かれていなかったが、ハプスブルク家マリー・ルイ-ズナポレオンの息子。

そうか、ナポレオンにも息子がいたのかと改めて思う。フランス革命の申し子たるナポレオン。フランスの反ハプスブルク政策と対峙し続けてきたオーストリア。ナポレオン流刑後、政治的火種を抱えたハプスブルク家は、ライヒシュタット公を囲い込んで、表舞台に立たせることはなかった。

そして彼も21歳の若さで他界する。絵に残された幼少の眼差しは澄み、賢さと、未来への希望に満ちているように見えるが、両親の不在を寂しくも感じていただろう。

どんな歴史の巡り合わせか、現在パリのアンヴァリッドに、父子ともども安置されているのを知ると、なぜかホッとした気持ちになる。今なおフランスにおいて英雄であるナポレオン。その父の傍らで、息子は安堵できる場所を得ただろうか。

これらのどの絵も、後の時代からみれば不幸な一生を送った、幼き日の肖像画だ。権勢ある一族に生まれ、しかし人生の可能性も、自由も、得ることがなかったであろう生涯を、彼らはどんな想いで生きたのだろう。

マリア・テレジア

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アンドレアス・メラー≪11歳の女帝マリア・テレジア

そして、女帝マリア・テレジア11歳の時の肖像画。これが11歳かと思うほどの威厳に満ちている。

利発そうに秀でた額、未来をしっかりと見つめる眼差し、「ハプスブルク家は、私が担いましょう」、そう言っているように見える。これが帝王たるオーラなのか、これを画いたアンドレアス・メラーは、11歳のマリア・テレジアに未来の運命を見たのだろうか。

【皇妃エリザベート

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ゲオルク・ラープ 『皇后エリザベート』 シシィ博物館

藤本ひとみさんの歴史小説の中で、一番好きなのは「皇妃エリザベート」だ。
ハプスブルクの宝剣」「ブルボンの封印」は、ハラハラドキドキの活劇で歴史小説の醍醐味を味わせてくれて好きだし、「聖戦ヴァンデ」もなかなか渋くていい。が、孤独の中にも高貴に生きたエリザベートの生涯を描いた「皇妃エリザベート」が、ひょっとしたら藤本ひとみさんの代表作なのではと思う。ー筆者感想ー

ハプスブルク展や、東京富士美術館で展示があった肖像画の衣装や、背景は、王族の権勢を示して、その豪華さと威厳は見る者を圧倒するが、画家の眼を通して描かれる彼女の表情は、やはり彼女の置かれている立場を映してもいるようだ。

暗殺される前、ホテルの窓から小さい男の子が、何かを探しているのを彼女は見ている。やがて少年は、自分のズボンのポケットに探していたものをみつけ、ホッとしてほほ笑む。それを見ていたエリザベートは、やっと長い間探していた答えを見つける。

捜していたものは、すでに持っていたのだ…なぜそんなにも探し、求めてきたのだろう。…見つかるはずがない。自分を支え、満たすものは誰かの胸や、どこかの場所に存在しているわけではないのだ。

それは自分の内にしかない。孤独に耐えて自分を見つめ、充実させ、その中から発芽させて大きく育てていくしかないのだ。…今からでもいいはずだ。
生きている限り、前に進むことはできる。
自分に人生がある限り、進んでいくのだ。
藤本ひとみ 『皇妃エリザベート』)

豪華な絵の向こう側に秘められた孤独な人生。その対照に、しばし言葉を失う。
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歴史が好きなのは、自分たちが生きた時代を背景にして、人々はどんな風に考え、生きたのか、それに興味があるからなのだと思う。困難から逃げたり、勇気をだして運命を引き受けたり、逆境に耐え、懸命に自分の人生と戦い、或いは薄倖の生涯を終えるのもいる。

きっと彼らから、勇気や、優しさや、正しさを学び、
「お前は、私のようにはなるな」
「私のように生きよ」と、様々に教えられているのだろう。

たくさんの肖像画を見ていると、彼らは現代の私たちに、そんな何かを語りかけてくるようだ。私の部屋には、マルガリータマリア・テレジア、皇妃エリザベート肖像画(コピー)が飾られている。

【出典・参考文献】
中野京子 『名画で読み解く ハプスブルク家12の物語』 光文社新書 2009年
藤本ひとみ 『皇妃エリザベート』 講談社 2008年