遥かなる「知」平線

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フランス革命 ミラボーが伝えたかったこと

フランス革命の一断面。
ミラボーの最後の一幕。タレイラン、ロべスピエールをめぐる人間模様から。

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ミラボー Honore Gabriel Riqueti,comte de Mirabeau 1749-1791

タレイランは、オータン司教であるのに、宗教は彼の政争を生き抜く道具でしかない。はなから神など信じていないのだ。

聖職者民事基本法(注)が、国会にかけられ議決されたのに、ルイ16世が批准をためらってなかなか施行されない。タレイランミラボーに知恵を授けられ、この法に反対しているプロヴァンス大司教であるボワジュランに会い、ルイ16世を説得するように工作する。それと引き換えにフランス教会会議を開催することに賛成すると言って。

ボワジュランがルイ16世の説得に成功し、法へ署名を行うや、他人に頭を下げられないタレイランは「フランス教会会議など知るか」と言い残し、またもや聖職者民事基本法の反対派を怒らせる。

この法に宣誓しない聖職者は、職を失うのだと聖職者に宣誓を迫るも、神を信じる彼らはいうことを聞かない。宣誓派(議会側)と非宣誓派が対立し、シスマ(教会分裂)が起こり、フランス国内は分裂する。

タレイランは、暗殺者に狙われ、反対派に包囲され窮地に陥っていく。そして、こうつぶやくのだ。

「自分自身の価値について、絶対の確信があり、それが少しも揺るがない・・・だから、負けない。最後は負けない。

いいか、きさまら、覚えていろよ。この私を脅したことを、必ず後悔させてやる。・・・この私に逆らい、この私を困らせ、あまつさえ、この私を笑いものにしたことを、とことん後悔させてやる。
もしいるならば、天上の神よ、おまえもだ。」

(注)聖職者民事基本法;仏国の教区・役職の合理化、聖職者の国家給養、聖職者の人民選挙を定めた法。この法に宣誓しない聖職者は罷免されるとされたが、施行後上手くいかず仏内で、シスマ(教会分裂)が起こり混乱した。タレイランは、オータン司教で、且つこの法の推進者。

ミラボーは、ジャコバンの代表でありながら、三頭派とは意見を事にし、ロベスピエールとも考えを異にしていくようになる。

ナンシーで兵士の暴動が起き、ラファイエットやブイエ将軍たちが鎮圧に動き出すが、ジャコバン党三頭派のラメットバルナーヴらは反対する。ミラボーはしかし、ジャコバン党の代表でありながら、人権を守り、法は守らねばならないと、対立するはずのラファイエットに味方する。

市民を敵に回すのかと思いきや、返す刀で、ネッケルら大臣にこの不始末の責任を取らせて辞任に追い込む。ジャコバン党左派は手も足も出ない。いまや、次の大臣を狙えるまでの実力者になったミラボーはしかし、病に倒れる。

死を前にし、タレイランロベスピエールを枕元に呼び、最後の言葉を言い残す。
ロベスピエールには、次の如く。

「清もあれば濁もあり、それを渾然とさせながら一緒くたに抱え続けているのが、むしろ普通の人間というものなのだ・・・
己が欲を持ち、持つことを自覚して恥じるからこそ、他人にも寛容になれるのだ。独裁というような冷酷な真似ができるのは、反対に自分に欲がないからだ。
世のため、人のためだからこそ、躊躇なく人を殺せる。」

原理に純化していくロベスピエールへ、人間はもっと弱く、醜いのだと語る。
「そうではない」と抗弁するロベスピエールへ、「人間は、ずっと弱くて醜い生き物だ・・・とことん民主主義がやれるほど、強い生き物でもない」という。

こう言いたかったのだろう。
清廉潔白、己に厳しいことだけで、他人にもそれを求めるなら、独裁を歩む。

後の恐怖政治への伏線を張りつつ、原理原則だけで人は動かないことをミラボーに語らせる。

純粋であろうとすればするほど、そうではない他人を否定する。「純粋でない自分」を否定する自己否定から、「純粋でない他人」を否定する他者否定へと転化する論理が、そこに見える。

革命を守らんとしたジャコバン党による恐怖政治を予見しつつ、しかしミラボーは死を前に、「疲れた」といい、寝返りをうってロベスピエールに背を向ける。
そして、つぶやく。

「あとは独りで歩いてゆけいいか、ロベスピエール、これからは独りだ。」

ミラボーは、伝えたかったのだ。「自分の理想」と「現実」の「距離」を見つめよ、と。理想主義者ロベスピエールは、しかし理想主義者のまま時代を駆け抜けた。
現実を打開するには、打開するだけの価値をもった理想が必要だが、そこには常に現実との距離を冷静に見つめていなければならない。

「かくあるべし」、しかし「現実との距離」はどれほどあるか。
失敗、成功は、この現実に対する認識が妥当か否か、によっているのではないか。

理想、理念は頭で考えられたもので、論理さえあれば、それは作り易いのだ。それを、やみくもに現状に当てはめようとすれば、必ず軋轢を生む。組織・国家が壊れなくても、人々の不満が鬱積すれば組織は内から壊れていく。

著者はミラボーを、未来を描きつつも、現実との距離を測りながら、理想へ向けて革命を主導した人物として描く。歴史教科書は、フランス革命を、ブルジョア革命としてしか、特に語らないが、歴史小説は、登場する人物を著者の思い入れを乗せて書くことができる。

きっと事実と書かれたものの間には、たくさんの距離がある。たとえ事実にそって著者が書いたとしても、歴史を担った人間たちの想いは、作者のものだ。

最近よく思うのだが、ひょっとしたら、真実は、事実にではなく、虚構の中にこそあるのかも知れない。

【出典】
佐藤賢一 『フランス革命Ⅳ 議会の迷走』 集英社 2009年
佐藤賢一 『フランス革命の肖像』 集英社新書 2010年