君は円月殺法を見たか
その一瞬は、鮮やかな映像となって記憶に残っている。
中学生の剣道の試合というと、そのワザは「小手(コテ)」「面(メン)」「胴(ドウ)」に限られる。社会人や学生の試合で、これに「突き」が加わる。
私の中学の剣道部は、その市では強豪校であった。
3年生の時、私はAチームには入れず、Bチームの中堅をやっていた。
つまり、一番弱かったのである。
市の中体連の大会、一回戦では、これもライバル校のAチームと当たり、相手の中堅の選手にあっという間に2本、「小手」と「面」を取られ、何もしないうちに私の試合は終わってしまった。ものの30秒も経っていなかったかも知れない。
そんな中学での部活の練習で、2年前の中体連の大会で優勝したOBが、私たちに稽古をつけに学校を訪ねてきた。中学校では優勝チームの副キャプテンをやっていた。副将である。卒業して剣道の強豪校に進学し、その時、高校2年生だった。
竹刀を構えた姿は、打ちこむ隙がまるで感じられないほど、堂々とした風格の立ち姿であった。背が高く、イケメンの「黒ずくめの剣士」。
稽古相手の、私たち中学生には、憧れの遠い存在であった。
これは敵わない。彼の纏うオーラに圧倒されてしまっていた。
中学生Aチーム総当たりの、それぞれ「一本」勝負の試合。
先鋒、次鋒、中堅が、なすすべなく敗れた。残るは副将、主将のみ。
副将のS君は、大柄で、やや変則気味の足さばきで、普通の選手より小刻みに足を動かしてリズムをとるスタイルの剣道だった。
先輩とS君の試合が始まった。
どちらも正眼(中段)に構え、S君が先輩の右側を少しずつ回り始めた。
先輩は、その円の中心にいて、S君の身体に剣先を据えたまま、ゆっくりと時計の針と反対にS君を追って回っていた。
静かな、緊迫した空気が体育館を支配し、他の部員も、固唾を飲んで見守っていた。この中学校剣道部を、強豪校に育て上げた顧問の先生が、真剣な眼差しで、紅白の旗を持って審判をしていた。
しばしの時が流れた。
と、S君の剣先が静かに、身体の左下側に動くや、そのまま円を描くように左肩を回った、と思いきや、裂ぱくの気合とともに先輩の面めがけて飛び込んだのだった。
えっ!
「メン!」
S君は、先輩の脇を走り抜けた。
先輩は、一歩も動くことができなかった。
「メンあり!」
先生の旗がさっと上がり、S君の「一本あり」を宣した。
私たちは誰一人、声も出なかった。
必殺の円月殺法。
私たち中学剣道部の、伝説となった鮮やかな飛び込みメンだった。
TVドラマの眠狂四郎の円月殺法は、フィクションであるが、これは本当の「円月殺法」であった。
その後、中学を卒業して、S君は、私と同じ高校に進学した。
高校では、彼は剣道をやめ、ヨット部に入った。
その理由は、誰も知らないままである。