遥かなる「知」平線

歴史、科学、芸術、文学、社会一般に関するブログです。

自分たちのサッカー

サッカーは走らなければ話にならない。
中田英寿

走れ!走れ!
(サッカーで)走って死んだやつはいない。
イビチャ・オシム 元日本代表監督)

こんなレベルのW杯は見たことがない。
質の高さは信じられないほどだ。
少しでもミスをすれば、ツケを払わされる。
(カペロ ロシア代表監督)

 

2014年サッカーW杯ブラジル大会は、ドイツ優勝で幕を閉じた。
日本チームは、大会前から史上最強と言われ期待されたが、1勝も出来ずにグループリーグで敗退した。グループリーグではアジアの4チームは、一勝も出来なかった。

 

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もちろん日本に勝つチャンスはあった。
コートジボワールでは先制したし、ギリシャでは前半で相手選手の退場で数的優位にあった。しかし、決勝トーナメントには進めなかった。

オシムのサッカーを継承・進化させた「はずの」ザッケローニ監督が率いていたこともあって、私たちもこれまで以上に期待していたが結果は出せなかった。選手たちは「優勝をめざす」と公言しながらの敗退だっただけに、きっとこの結果には私たち以上に愕然としたに違いない。「この4年間は、いったいなんだったのか」と。

そして、ネット上では、揶揄をこめてだろうか「自分たちのサッカー」という言葉をよく目にした。インタヴューで選手たちはよく、「自分たちのサッカーができればチャンスはある」という言い方をした。
その「自分たちのサッカー」を引き合いに出して、
「『自分たちのサッカー』ってなあに?」と言う訳だ。

三田誠広芥川賞受賞作、『僕ってなあに』と主題は同じだろう。
「自分たちが目指したサッカーとは、いったいどんなサッカーだったのか」
その基本的な問いを発せずにはいられなかったのだろう。

サッカー関係者は皆言っていた。
「人もボールも動くサッカー」
「ボールを支配し、そこからチャンスを作り出す」
「フィジカルは弱いので、早いパス回しで相手を崩す」

他のチームの試合を見ていて、日本チームとの違いに改めて驚かされた。
スピードが違う。
激しさが違う。
プレッシャーが違う。
全力で必死にボールを追って走っている。

世界のサッカーは、アジアのそれよりずっと進化していた。
サッカーは、「野蛮人の最も紳士的なスポーツ」と言われるが、各国の試合を見ているとサッカーは格闘技なのだということを改めて思い知らされた気がする。
戦術、システム、現代サッカーを論評する知識も資格もないが、格闘技には闘争心が不可欠だ。その闘争心の欠如こそ日本チームに足りないものだった気がする。

選手の一人が言っていた。
コートジボアール戦で、最初に相手選手と接触して、これは違うと感じた」
先制しながらも、相手チームの激しさに、試合開始早々、圧倒されてしまったようだ。
本田選手の言葉を借りれば「相手をリスペクトし過ぎた」。
要するに、怯んだ、ビビったということだ。

 

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グループリーグ3試合で、日本選手の中で最も走った長友選手は22km。
一試合平均で7.3km。
ドイツが決勝戦で走ったベスト3は、一試合90分に換算して
シュバインシュタイガー11.5km②ミュラー11.4km③クロース10.7km。
アルゼンチンは①ビリア11km②ロホ10.6km③マスケラーノ10.5km。
日本が優勝を狙うには、少なくとも各選手は4~5kmを、現状よりも多く走らなければならない。
しかも、相手の激しい接触をかわしてボールをコントロールしながらである。

2006年ドイツ大会で敗れた中田英寿にはわかっていた。
オシムもわかっていた。
走力こそ論理的には相手に対し数的優位を保つ基本的要素であると。

オシム率いるジェフ市原のサッカーを思い起こしてほしい。ボールを持てば、一斉に5~6人が相手ペナルティエリア内に走り込む破壊力を、当時相手をしたGK川口能活が「スペクタクル」と評したように、相手チームは恐れたのだ。

走っていない。だから相手にプレスをかけられない。
ボールを持つ相手に一人プレスにいっても、他の味方選手がパスコースにいる相手選手へ連動してプレスをかけなければ、集団でプレスをかけたことにならない。
前線の選手が同時に、複数の相手にプレスに行けば、中盤、バックラインが同時に押し上げることができる。結果として中盤をコンパクトにすることができる。

走っていない。だからパスを狙われる。
ボールを受け、相手の早いプレスをかわすには2タッチ以下でパスをしなければならない。そのパスを受けるには、周りの選手がより速くパスコースに走り込まなければならない。

昔から、ボールを追ってひたむきに走るアメリのチームが好きだった。
今回もその走力は健在だった。
チリもよかった。
前線からボールを一斉に取りに行き、そのまま素早く相手ゴールに迫った。
その気迫には、感動すら覚えた。

 

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前回大会優勝のスペインパスサッカーはドイツに引き継がれたが、それは圧倒的な走力に支えられてのものだったように思う。日本の敗因は、「気迫(闘争心)と走力」。そうした評論はなかったようだが、モンモにはそう思えてならない。
欧州、南米の強豪と強化試合を多くしなければ、サッカーの進化に対応できない。
自分たちのサッカー」など、強豪国相手にさせてはもらえないだろう。

さあ、どうするか。4年間は無駄ではなかったと思う。今のサッカースタイルを基に、「闘争心と走力」を付加してより速いサッカーを目指したらいいのではないか。

スペインも、イタリアも、ポルトガルも決勝トーナメントに進めなかった。イギリスも1勝もできなかった。だから結果を恥じる必要はない。
選手自らが、なぜ「自分たちのサッカー」ができなかったかを問うべきだろう。
選手たちには、既に次のW杯大会へ向けて鍛錬の日々が待っている。