遥かなる「知」平線

歴史、科学、芸術、文学、社会一般に関するブログです。

映画 GODZILLAゴジラ

いまや我は死神、すべての破壊神なり。
ロバート・オッペンハイマー
(注)アメリカの核兵器開発を主導したことを後悔し、この言葉をヒンズー教の経典から引用して述べた。

 

f:id:monmocafe:20190604150750j:plain


高校生の頃、フランスのノーベル賞作家アルベール・カミュの『ペスト』を読んだことがある。今この本は手元にはないので、記憶が誤っていたらご容赦願いたいのだが、本の最後の場面で厄災が去って人々のお祭り騒ぎのなか、医師リュウがある思いを抱いて一人で歩いている場面がある。
ペストは収まったが、いつか再び人間の愚かさや気高さを思い起こさせる日まで、眠りに就いているだけだ、いつか再び、ペストは眠りから覚めるだろうと。

ハリウッド版二作目の『GODZILLAゴジラ』を見て、なぜかこの『ペスト』の最後を思い出した。

1946~1958年まで、アメリカは23回の核実験をビキニ環礁で行った。
特に、1954年3月1日のキャッスル作戦ブラボー実験では、ヒロシマ原子爆弾1000個分の爆発力(15Mt)にもなる核爆発を起こし、日本のマグロ漁船第五福竜丸はじめ約1000隻以上が被曝したことでも知られている。

 

f:id:monmocafe:20190604151143j:plain

1954.3.1 ビキニ環礁での核実験(ウィキペディア

この核実験からゴジラが生まれた。
(映画「ゴジラ」の第一作が初公開されたのは1954年11月)
ゴジラは、人類が持つことになった「プロメテウスの火原子力)」によって生まれ、映画では、原子力を餌として吸収し進化する巨大生物MUTOの厄災の時、姿を現す。

 

f:id:monmocafe:20190604151237j:plain

MUTO

だからゴジラが登場すると、私たちは核兵器原子力(災害)と人間がどう向き合うのかを問いかけられる。記憶に新しい「3.11」の津波放射能被害を想起させるために、映画のシーンに拒否反応を持つ人もいるが、これは現在の日本人の課題でもあるのだと、映画は迫る。今の問題から眼を逸らすなと。

 

f:id:monmocafe:20190604151344j:plain

ゴジラとMUTOの戦い

娯楽映画と侮ってはならない。
ここには素晴らしい映像表現があり、現代文明認識への問いかけがある。
自然とはなにか、人類を救いもするゴジラとは何者なのか、自ら作り出した「制御不可能」なプロメテウスの火を人間はどう扱っていけばいいのか、そして事が起これば私たちはどう事態と向き合うか、ゴジラの眼差しは私たちに問いかける。

 

f:id:monmocafe:20190604151439j:plain


MUTOを退治してゴジラは海に還っていく。
MUTOとゴジラの格闘の跡が、文明の廃墟のように残るが、「復興」の予感とともに私たちの胸に「問いかけ」が残る。
きっとまた、原子力への「問い」を私たちが忘れた頃、ゴジラは再び姿を現すだろう、「ペスト」のように。

 

f:id:monmocafe:20190604151600j:plain

アーロン・テイラー=ジョンソン(フォード・ブロディ)

f:id:monmocafe:20190604151641j:plain

渡辺謙(芦沢猪四郎)

f:id:monmocafe:20190604151732j:plain

エリザベス・オルセン(エル・ブロディ)

f:id:monmocafe:20190604151819j:plain

ブライアン・クランストン(ジョー・ブロディ)

とまあ、そう固いことを言わずとも、猛暑を避けて2時間を映画館で過ごすのも悪くない。ブライアン・クランストンら演じる人間ドラマもちゃんと用意されている。