遥かなる「知」平線

歴史、科学、芸術、文学、社会一般に関するブログです。

多田将 すごい実験 すごい宇宙講義

あの事業仕分けで「一番じゃないと駄目なんですか?」
って話がありましたけど、僕が訊かれたら、即座にこう答えます。
「絶対に駄目です!」

棚の下にいない者には、ぼた餅は手に入らない
(棚の下に居る努力が必要なんです)
(多田将『すごい実験』)

科学の世界では、本当に価値のあることは、
知識なり情報なりの「結果」ではなく、
それらをいかにして得たのかという「過程」のほうなのです。
(多田将『すごい宇宙講義』)


もう何十冊となく一般向けの物理に関する科学書を読んできたが、いまひとつ「分かった」という実感を持てない本がほとんどだ。ホーキングリサ・ランドールなど著名な専門家が素粒子物理学や宇宙の成り立ちについて書いた本は、文系出身の我が身にとって興味津々ながら、消化不良が極まって「一から勉強するしかないか」と覚悟をさせたものだ。

しかし、多田将という人の書いた2冊の本には感動すら覚えるくらいだ。
ついファンになってしまった。
茶髪ロン毛のおよそ物理学者とは程遠いイメージなのだが、れっきとした高エネルギー加速器研究機構の専門家なのだ。

先日、茨城県東海村J-PARCという実験施設から295Km離れた岐阜県スーパーカミオカンデに向けてニュートリノのビームを飛ばし、ミュー型ニュートリノが飛行中に電子型ニュートリノへ変化する「電子型ニュートリノ出現現象」を検出した記事が新聞に出ていたが、いわゆるT2K実験(東海ー神岡間長基線ニュートリノ振動実験)に携わっている研究者だ。

すごい実験 高校生にもわかる素粒子物理の最前線
イースト・プレス 2011年8月)

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すごい宇宙講義
イースト・プレス 2013年6月)

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素粒子や宇宙に興味・関心のある方はご一読を、と自信をもってお薦めしたい。

『すごい実験』は、T2K実験の最前線の話を通じて、素粒子物理を解説している。実際の高校生に講義した内容がもとになっている。
『すごい宇宙講義』も、この宇宙がどうなっているかを某カルチャースクールで一般向けに講義した内容をもとにしているから、分かり易さならピカ一といっていい。
読んだばかりなのは『すごい宇宙講義』のほうだが、宇宙の始まり、質量の起源(ヒッグス粒子)、宇宙の膨張など宇宙論の骨格となる部分がどのような考え方のもとに形成されてきたかを解説している。

大切なのは「結果得られた知識」より、どのようにして人々はそのような科学的知見を獲得してきたかというプロセスなのだという著者の考えでなされた講義なので、実に明快なのだ。
もちろん、勉強するための本ではなく「興味を持つための第一段階」の本であるという位置づけだ。「厳密には「宇宙の本」ではなく、「人類がいかに宇宙を知ろうとしてきたか、その科学的な考え方を描いた本」と著者自らが言っている。
本の中に挿入されているコラムにも考えさせる。

「理系の人はどんな人か」という本がたくさん出ているが、こうした本を書いている人は、「本当に理系の人間を見たことがあるのか?」と思っていたのだという。
現実の「理系の人」の特徴は、「論理的に考える」「定量的に考える」ということなのだという。

例えば「日本にピアノの調律師は何人いるか?」という設問がある。
・日本の世帯数5000万世帯
・その内一割がピアノを持っている。つまり日本には500万台のピアノがある。
・2年に一回調律してもらうと一年間で250万台が調律される。
・一人の調律師が一日2台の調律をするのが限度。
・人間が働くのは一年で250日くらい。
・とすると、一人当たり一年間で500台調律できる。
・が、この不景気、毎日仕事はないから調律師の能力の50%程度の注文数。
・とすると、一人当たり年間250台の調律能力をもつ。
・すなわち、調律師は250万台/250台=10000人
実際の調律師の人数は分からなし、或いは別の定量的アプローチがあるかも知れないが、ある前提をおいてこのように論理的、定量的な考え方ができる人のことを「理系の人」というのだそうだ。
(上記の問題は、マイクロソフト社の入社試験の問題だそうだ)

さらに、あまり政治向きの話はしたくないがと断りつつ、こんなこともいっている。
原子力発電所発電能力は、一基あたり1ギガワット。現代人が必要としている電力は、ざっと一人あたり1キロワットなので、1基あたり100万人分の電力を供給している。
100万人分のインフラを整備しようとなると計画から建設、運用までを新しい技術で行おうとすると、その研究・開発を含め10年ではきかない年数が必要になる。
風力発電は一基あたり定格2メガワット。これで1ギガワット分を代替すると、稼働率100%としても500基必要。これは現在日本最大のウィンドファームより1桁多い数で、それを整備するのに用地買収から、製造・設置からどれだけの年月と労力が必要か。

「ドイツでは」「ヨーロッパでは」というが、それははるか以前から研究・開発と整備に時間と手間をかけてきたからで、「他の国ができているから、日本もできるはず」と叫ぶのはまったくナンセンス。
ヨーロッパのように日本が出来ないのは、国を挙げて準備してこなかったから。数十年分のツケは1年や2年で返せるわけがない。数十年かけて少しづつ返していくしかない。

一気にはいかない。一気にやろうとするといろんなところに無理がきて、新たな問題を起こす。「みんなで節電」というレベルではない。どんな日常品も、電気を使わないで製造されているものはない。
日本の自殺者3万人のうち、1/4が、失業、経営難という経済的理由。電力供給の急激な変化で、仕事ができなくなったり、経済的精神的に追い込まれる人が大勢出てくる。
生き物は急激な環境変化に極めて弱い。人間の場合、自然環境だけでなく、社会環境に対しても。重要なのは、いかにして、悪い影響を与えない程度にゆっくりと、現在の状況を変えていくか、だ。

施策を適切に監視し、的確に批判するには、定量的に評価する姿勢が欠かせない。素粒子の本を通して、著者はこんなことも考えさせてくれる。政治家のみなさんにもお薦めしたい。現実の政治に少しでも科学的思考を用いられてはいかがか。

多田さんは、「休日に遊んでくれる人」を探している43歳の独身なのだそうだが、今後の活躍と「幸せ?」を期待し、次なる「勉強するための第一段階」の本も期待し、更にはニュートリノ振動でノーベル賞まで期待してしまうのは、期待し過ぎだろうか。

多田将 高エネルギー加速器研究機構素粒子原子核研究所助教