遥かなる「知」平線

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フェルメール 絵画芸術

フェルメールの絵で傑作なのは、『絵画芸術』しかない。
フェルメール展で、モンモに話しかけてきた老人の言葉)

 

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フェルメール 『絵画芸術』 1666-67 ウィーン美術史美術館

 

モンモは決してそう思わないのですが、2008年東京都美術館フェルメールにいった時のことです。さすがに大変な人気で、長蛇の列を並んで待っていたときに、一人のご老人が話しかけてきたのです。

モンモは、この絵にはどうもある種の距離感を抱いていたせいか、「いや〇〇だって、××だっていいでしょう」と応えていたのですが、でも絵の好みはそれぞれなので、この絵はご老人の好みだったのでしょう。

昨日(8月9日)、朝日テレビフェルメールの絵について放送していたので、ご紹介しましょう。先ずは冒頭の『絵画芸術』から。

若い頃、画家志望だったヒットラーは、1938年リンツに世界最大の美術館、ヒットラー美術館を作ろうと計画し、占領した地域から多くの美術品を略奪していった。
この美術館に展示する美術品収集をハンス・ボッセに命じた。

そして、10000点もの美術品をオーストリアの標高800メートルのアルトアウスゼー岩塩鉱山の中に作った倉庫に隠したのである。
岩石に含まれる塩分によって、水分が吸収され湿度、温度が一定に保たれて、絵画が劣化せずによく保存されるために、その倉庫をヒットラーが造らせたのである。

この美術品の中に、フェルメールの『絵画芸術』が含まれていた。(注)
ヒットラーは、この絵が非常にお気に入りで、司令部の目の届くところに飾っていたという。

現在その倉庫の中に、当時の大きな木の箱が残っている。それには、爆弾が入っていた。というのも、戦況に変化があってナチスドイツに不利になったとき、占領地域の枢要な工場、鉄道などの拠点を爆破するための500キロ爆弾が、このアルトアウスゼー岩塩鉱山の美術品保管倉庫にも仕掛けられていたのである。

美術品を隠しているところが、爆破しなければならない戦略上の拠点とはとても考えられず、モンモにはとても理解できないのですが。

これを発見した坑夫たちが、密かに運び出そうとしたが見つかり、断念せざるを得なかった。しかし、1945年4月30日、連合軍のベルリン侵攻で、ヒットラーは自殺してしまった。坑夫たちは再び爆弾を鉱山から運び出そうとし、成功したのであった。

坑夫たちは、世界に誇る美術品をヒットラーの爆弾から守ったのである。
現在、フェルメールの『絵画芸術』は、ウィーン美術史美術館に展示されていて、彼の絵の中では一番大きな絵となっている(120×100㎝)。

この絵には、三つのメッセージがあるとされ、寓意が主役を演じている。
月桂冠を頭に載せ、トランペットと書籍を手にした女性(歴史の女神クリオ)を画家が描いているという絵である。

壁の地図は、ハプスブルク家が支配していた時のもので、ヒビが入っているのは当時すでに政治的に二分されていたということである。また、シャンデリアの上部には双頭の竜の彫刻がついている。これもハプスブルク家のシンボルであった。

この絵には、こうした歴史が描かれている。

歴史画は、聖書、神話、歴史上の人物、寓意などの総称で、当時は最も位の高い絵とされたのである。従ってこのクリオを描く画家は、歴史画を描く画家ということで、フェルメール自身だともいわれている。

三つのメッセージとは、栄光(月桂冠名声(トランペット)そして歴史(書籍)であるとされる。

きっとヒットラーは、その三つが欲しかったために、この絵を手に入れたのだ。
しかしこれらは、民衆のものであり、独裁者のものではない。
「栄光、名声、歴史」は、名もなき坑夫たちによって救われたのである。

(つづく)

(注)そう番組では言っていたが、ボッセが手に入れた後、ミュンヘンヒットラー宅に送り、戦後発見されたヒットラーのコレクションの中にあったとも、書かれている本もあって、この岩塩鉱山で見つかったか否かはっきりしない。

【出典・参考文献】
小林頼子 『フェルメール』角川文庫 2008年
朽木ゆり子 『フェルメール全点踏破の旅』 集英社新書 2006年
福岡伸一 『フェルメール 光の王国』 木楽舎 2011年