遥かなる「知」平線

歴史、科学、芸術、文学、社会一般に関するブログです。

ナチス略奪絵画の発見

人間が自分らしく生きられる自由のない限り、
芸術の栄える余地はない
ルーズヴェルト大統領)

労苦は去る、ほとんど目に見えない名声を抱えて。
ダ・ヴィンチ

 

2013年11月初め、ドイツ南部ミュンヘンのマンションで、ナチス・ドイツが略奪するなどした絵画1406点が見つかったと報道があった。
大きく報道されたのでご存じの方も多いと思う。

ナチスの協力者だった画商の父から、「合法的に相続した」というコーネリウス・グルリット氏(80)が持っていたもので、脱税事件の捜査で2012年2月に見つかっていたという。

 

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ドイツ南部ミュンヘンの個人宅で見つかったナチス・ドイツが略奪したとされる絵画
(2013.11.30 読売新聞)

ドイツ政府やバイエルン州などが合同作業部会を設置し、ナチスユダヤ人などから略奪したと疑われるもの約590点、ヒットラーの好みに合わないという理由で「退廃芸術」とされ、主に美術館などから集められた印象派の絵画や当時の前衛芸術が約380点、という中間調査結果を明らかにした。

 

ヨーロッパを舞台にした第二次世界大戦の混乱期に、大量の美術品がナチス・ドイツによって略奪された様子は、リン・H・ニコラス著『ヨーロッパの略奪 ナチス・ドイツ占領下における美術品の運命』白水社 2002年10月)に詳しいが、最終的に略奪された数は不明だ。

有名なオーストリアアルト・アウスゼーでは、絵画6577点、素描と水彩画2300点、版画954点、彫刻137点、刀剣・甲冑129点、タペストリー122点、家具78点、バスケット79個分の物品、公文書と思われる木箱484個、書籍181箱、書籍に類するもの1200~1700箱、内容不明283箱が発見されている。

そしてこれはほんの一部だ。ドイツ、オランダ、ポーランドオーストリア旧ソ連、フランス、イタリアから、略奪した総数は100万点ともいわれている。その中にはミケランジェロの彫刻、ダ・ヴィンチラファエロフェルメールレンブラントをはじめとする膨大な絵画、中には神聖ローマ帝国の即位の宝器などが含まれていた。
アルト・アウスゼーのような所は、何千、何万とあったのだ。

 

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レンブラント 『夜警』 アムステルダム国立美術館 1642年

あまり知られてはいないと思うのだが、連合軍がベルリンへ向けて進軍する際、歴史的建造物や美術品を破壊や略奪から保護する「記念建造物保護官」が同行していた。
彼らは、戦闘によって破壊された歴史的な建造物を守り、ナチス・ドイツによって組織的に略奪され集められた彫刻・絵画などの美術品の集積拠点を探し出し、もとの所有者に返還するという活動を行っていた。

連合国が確保したこれら美術品を戦利品として扱ったり、ドイツからの賠償金として使うことに反対した。
「美術品をアメリカへ輸送せよ」と、命令を受けた保護官らは抗議声明を出す。

保護官のエヴェレット・レスリーは書いた。
なんらかの理由で国家遺産の一部を移送することほど、歴史に長く禍根を残すものはない・・・われわれは、個人または集団としてそれ(移送)に反対することが自らの義務であると確信している。
そして、われわれが義務を負うべき対象は、自らが忠誠の義務を負う国であるが、われわれには文明国に共通の正義や礼節にたいする義務があり、便宜主義や権力の確立ではなく正義の確立にたいする義務もあると確信している。
合衆国憲法制定者たちであれば、これを誇りとしたであろう
(ヴィスバーデン声明書)

25人の保護官(将校)が声明書に署名し、その場にいなかった5人が手紙で賛同した。202点の絵画は、命令通りアメリカに渡らざるをえなかったが、結局これらは1955年に返還された。

略奪された美術品は、いまだ10万点が行方不明といわれるが、なによりも賞賛されるべきは、その数をはるかに上まわる美術品が無事だったことだ。
いまあるような形で、私たちが歴史的にも貴重な建造物や美術品を見ることができるのは、少人数で戦後の混乱直後に奮闘し、美術品を守ってくれた各国の「記念建造物保護官」のおかげである。

先のリン・H・ニコラスは、行方不明の美術品を見つけ返還することは「終わりのない物語」だと書いている。ミュンヘンで発見された1406点の絵画が、はからずもその物語の一部であることを想起させてくれる。