遥かなる「知」平線

歴史、科学、芸術、文学、社会一般に関するブログです。

フィレンツェ時代の聖母子像

レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯 (7)

 

問いを恐れない。問いは否定ではない。問えないのは弱さ。

他人を基準にしたら、自分の明日は描けない。

選ばれようとしていないか。
選ばれる為に自分を捨てていないか。

為末大 『走る哲学』 扶桑社新書

人には持って生まれた寿命がある。だが、だからといって
何かを始めるのに遅いということはない。
冲方丁 『天地明察』 角川文庫)

 

1476年、ダ・ヴィンチはついに自分の工房をもつ。が、独立したばかりの工房に、そう多くの注文があるわけではなかった。4~5年は、個人からの依頼で、宗教画などを手掛けている。

ダ・ヴィンチが描いたとされる聖母子像のうち、現存する作品は5つ(除く『岩窟の聖母』)とされるが、フィレンツェ時代に描かれたのは2つの聖母子像である。

これらの聖母像は、家の装飾や個人的な祈りに使用する目的で作られたもので、広く出回っていたという。

カーネーションの聖母】

f:id:monmocafe:20190521225257j:plain

ダ・ヴィンチ 『カーネーションの聖母』 1475-78年 ミュンヘン アルテ・ピナコテーク

背景の柱や風景は、フランドル絵画の影響をうけ、聖母や幼児キリストの構図は、師ヴェロッキオの影響がみてとれるようだ。幼児がつかみ取ろうとしているカーネーションは受難のシンボルとされ、後年のキリストの最後を暗示している。

それにしても、次の「ブノワの聖母」と同様、それまでの聖母像とはかなり様相が異なっている。普通の母子の絵のようだ。初期ルネサンスジオットマザッチョらの聖母像から、ダ・ヴィンチフィリッピーノ・リッピラファエロらの聖母像は劇的な変貌を遂げている。

(下記に【参考】として「聖母子像」の変遷を載せておきました。)


【ブノワの聖母】

f:id:monmocafe:20190521225433j:plain

ダ・ヴィンチ 『ブノワの聖母』 1475-1478年 サンクト・ペテルブルク エルミタージュ美術館

去年エルミタージュ美術展があり、モンモは見に行けなかったのだが、TV番組では同じエルミタージュ美術館に『ブノワの聖母』とともに、もう一点展示されている『リッタの聖母』との比較を紹介していた。『リッタの聖母』はまた別の機会に譲るが、この二つの聖母像は、まるで異なる印象を受ける。

『ブノワの聖母』のほうが、より庶民的で親しみを感じさせ、当時広く描かれた聖母像とは、かなり趣のことなった作品になっている。『リッタの聖母』が、いわゆる「伝統的」な聖母像といえるだろう。

当初、『ブノワの聖母』はダ・ヴィンチのものではないとされていたようだ。
窓の外は白っぽく塗られているだけで、風景が描かれていない。笑みをたたえ、神秘性が感じられない。聖母子らしくないマリア。歯のない笑み。しわのある首。それはあまりに人間的に見える。庶民的な緑色の服。光の輪がなければ、ありふれた母子にしかみえない。

しかし、大英博物館に証拠があり、ここに残されたデッサンが論争に決着をつけた。ダ・ヴィンチのものだと確認されたのだ。(下記デッサン(右))

f:id:monmocafe:20190521225519j:plain

Studies of a Virgin and Child (right,a Study for the Benois Madonna),c.1478-1480
London,British Museum,Inv.1860-6-16-100r

 

段差がある高い位置に窓があるので、実際それを描いた時、窓からは空しか見えなかったのではないか。ダ・ヴィンチは「丹念に観察する」人であったから、空しか描かなかったのだ。

そして彼は、実際の親子をモデルに描き、当時の常識に挑んだ。それは父親に認知はされたが私生児だった彼の生い立ちが影響して、絵に「母子の愛」をこめたのではないかともいわれている。

しかし、はたしてそうだろうか。
根拠はないのだが、ダ・ヴィンチはただ、幸せそうな「母子」を描いたのではないかとおもう。子供が生まれた記念として、絵を依頼されたのかも知れない。

仮に「聖母子像」を依頼され、親子をモデルにしたとしても、ありのままの二人を描いた。そして、申し訳なさそうにそっと光の輪を付け加えた。或いは、光の輪は後世に、誰かが書き加えたのかもしれない。

この絵には、幸せが描かれている。

(続く)

------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

【参考】聖母子像の変遷

 15世紀前半のマザッチョから15世紀半ば以降ラファエロに到る聖母子像の変貌には著しいものがある。フィリッポ・リッピ、ダ・ヴィンチ、ボッテチェリ、ラファエロフィレンツェの画家たちの手によって生身の人間と等身大の聖母子像が描かれていく。

 ①チマブーエ『サンタトリニタの聖母』1280年  ②ドゥッチョ『玉座の聖母子と六天使』1285年

f:id:monmocafe:20190521230429j:plain

③ジョット『オニサンティの聖母』1310年           ④マザッチョ『聖アンナと聖母子』1424年頃

f:id:monmocafe:20190521230557j:plain

⑤フィリッポ・リッピ聖母子と二天使1457年  ⑥ボッテチェリ聖母子と麦の穂や葡萄を捧げる天使1471年頃

f:id:monmocafe:20190521230832j:plain

⑦ボッテチェリ マニフィカトの聖母 1480年代初め   ⑧ボッテチェリ 柘榴の聖母 1487年

f:id:monmocafe:20190521231000j:plain

ラファエロ 小椅子の聖母 1515年パラティーナ美術館

f:id:monmocafe:20190521231129j:plain

【参考文献】

週刊 世界の美術館 5 ウフィッツィ美術館1 平成12年2月

宮下孝晴 佐藤幸三他 フィレンツェ 美術散歩 1991年1月 新潮社

塩野七生 石鍋真澄他 ヴァチカン物語 2011年6月 新潮社