ダ・ヴィンチ工房の絵画
レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯(17)
【先輩F氏の言行録より】
風邪は気合で治すんだ。
(注)そう言った翌日、本人は風邪で休んだ。
人間はどうして眠らなくちゃならないんだ?
一日は24時間あるんだ。
眠らなければ、もっと多くのことができるだろう。
(注)そうは言ってもFさん、食事も睡眠も必要です。
「Fさんの言うことは、普通の人には理解できませんよ」に対する返事
いいんだ。オレはプロだ。
(注)私も言ってみたかった。
オレやお前のような人間は、どうせ異端だからな。
(注)あなたはともかく私は普通。
先にご紹介した『チェチリア・ガッレラーニ』『音楽家の肖像』以外、ミラノのダヴィンチ工房では『ラ・ベル・フェロ二エール(美しき金物商の妻)』(又は『ミラノの貴婦人の肖像』)、『リッタの聖母』が描かれている。
絵を描くだけではなく様々な宮廷イベントを演出したり、後に述べるように宮廷から依頼された騎馬像の作製なども手掛けていたとはいえ、弟子を抱えた工房にしては、現在知られているだけの絵画しか作製していないとしたら、いささか少ないように思われる。
弟子たちが描いた絵に、親方として筆を入れたものが少なからずあったのではないかと推察するほかない。今後突然オークションに、それらの作品がダ・ヴィンチが関与したものとして、現れるときが来るかもしれない。
【リッタの聖母】
エルミタージュ美術館(サンクトペテルブルク)1490-91年
『リッタの聖母』は、19世紀の所有者、アントニオ・リッタ公爵にちなんでそう呼ばれている。
素描がルーヴル美術館に残されているから、ダ・ヴィンチがこの絵の制作に関わっていることは明らかだが、弟子のボルトラッフィオ又はマルコ・ドッジョーノとの共作とされる。
女性の頭部の素描 ルーヴル美術館 1490年頃
『カーネーションの聖母』や『ブノワの聖母』を見てきた者には、聖母の硬質な輪郭・表情は、ダ・ヴィンチ作ではないと思わせる。いかにも「聖母」らし過ぎるのだ。
ダ・ヴィンチなら、もっと表情に柔らかさがあるだろうし、母子の動きも生き生きと描いたのではないかと思う。或いは、注文主に「聖母らしく」と依頼されたのか。
【ラ・ベル・フェロ二エール】
ルーヴル美術館 1495-96年
目力の強さが印象的なこの絵のモデルは、ルクレツィア・クリヴェッリではないかとされている。チェチリア・ガッレラーニの後にルドヴィーコの愛人になった人物である。ルクレツィアは1497年3月にジョヴァンニ・パオロを出産し、ルドヴィーコが彼の息子と認知した。
同じ年、ルドヴィーコの妻ベアトリーチェが亡くなった。必ずしもその立場に相応しい扱いを受けたとはいえないベアトリーチェだったが、快活だったらしく、宮廷人にも人気があったようだ。
愛人がいながらこの妻を愛していたのか、これ以降ルドヴィーコは隠遁生活に入って行く。
(つづく)