遥かなる「知」平線

歴史、科学、芸術、文学、社会一般に関するブログです。

ガリレオの指

神の摂理は、我々の前に開かれている最も巨大な書物、
即ち、大自然のなかに数学の言葉で書かれている。

私が千倍にも広げたこの宇宙が、
今は私の内面の小宇宙にまで縮まってしまった。
ガリレオ・ガリレイ

私に判決を下したあなたがたのほうが、判決を
受けた私よりも大きな恐怖を感じているのだろう。
(ジョルダーノ・ブルーノ)
(注)地動説を唱えた為、宗教裁判により1600年2月17日火炙りの刑に処せられた。

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このガリレオの右手中指は、1737年3月12日、ガリレオの亡骸がサンタ・クローチェ教会フィレンツェ)の本堂に移されたときに遺体から切り取られた。現在はフィレンツェ科学史博物館にある。指の入った容器にはアラバスター製の円柱状の台座がついており、そこにこう記されている。

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この指の遺物を軽んじてはならない。この右手が
天空の軌道を調べ、それまで見えなかった天体を
人々に対し明らかにした。もろいガラスの小さなかけらを作ることで、
太古の昔に若き巨人たちの力をもってしてもできなかった偉業を
大胆にも初めてしてのけたのだ。巨人たちは、天の高みへ上ろうと
山々を高く積み上げたものの、空しく終わっていたのである。

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ガリレオ・ガリレイ 1564.2.15-1642.1.8

ご存じガリレオ・ガリレイは、近代科学の父と言われている。
しかし、科学的業績というなら、そう多くない。
・重りをつるすひもの長さが一定なら同じ周期になり、重りの重さ(質量)には依存しない、という「振り子の等時性」。
・自由落下する物体の落下距離は、それに要した時間の2乗に比例し、物体の重さ(質量)に依存しないという「落体の法則」。

ピサの斜塔から重さの異なる物体を落として実験をしたというが、実際は重さの異なる物体を斜面でころがして実験をしたようだ。こうして、それまで信じられてきたアリストテレスの説「落下運動の速度は落下する物体の重さに比例する」を葬り去った。
教会やアリストテレスの説に盲目的に従うのではなく、自然現象に対して、推論と実験によりその結果を数(学)的分析によって法則を導くという態度で臨んだ。

1610年、ガリレオは望遠鏡で観察した天体のスケッチを多く残した。
月にクレータがあること、太陽に黒点があること、木星には四個の惑星(イオ、エウロパ、ガニメデ、カリスト)があり木星の周りを回っていること、金星の満ち欠けの観察から、金星は太陽の周りを回っていることを知った。

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ガリレオによる月の素描

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木星(○印)と衛星の動きの変化をスケッチしたもの

全ての天体は、地球の周りを回っているのではなかったか(天動説)。
ガリレオは、木星の衛星や金星の動きから、本当は地球が太陽の周りを動いている(地動説)というコペルニクスの説を支持するようになる。
宇宙へ眼を向け、観測によって、科学と人間の世界観を大きく変えることに貢献したのである。
しかし、1616年ローマ異端審問所は、「太陽中心の世界観を抱くことは異端」とし、コペルニクスの『天体の回転について』を禁書とした。ガリレオは、譴責処分を受ける。
この時彼は、「聖書は天国への行き方を教えるものであって、天の仕組みを教えるものではない」と語ったとされる。
1623年、ガリレオの友人バルベリーが教皇ウルバヌス8世となった。これに意を強くしたからか、1632年『世界の二大体系対話』(略して『天文対話』)をフィレンツェで出版する。

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1632年『天文対話』

そこには、「どの見方にも偏見を持たないで、哲学と自然の法則に基づいて議論する」と書かれてある。
しかし、「異端の重大な疑いあり」として異端審問所からローマへ出頭命令を受け、1633年の宗教裁判で、「異端と見なされる行為をしてはならない」と、生涯自宅に幽閉される。『天文対話』は発禁となった。

1638年、両目とも失明。1642年1月8日77歳11ヶ月で、亡くなる。
死してなお、カトリック教徒として埋葬することをウルバヌス8世によって禁じられ、公的葬儀は中止された。ガリレオはサンタ・クローチェ教会構内の小部屋の一隅に葬られたのである。
1737年3月12日、フィレンツェ出身の教皇に許されて遺骸は本堂に移され、彼の墓はミケランジェロの霊廟と向かい合って作られた。

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ガリレオの墓 (フィレンツェ サンタ・クローチェ教会)

1965年、パウロ6世が「当時の教会が誤りをおこした」と明言し、1992年10月ローマ教会(ヨハネ・パウロ2世)は、ガリレオの有罪判決は誤りであったと正式に認めた。有罪判決から360年の歳月が経っていたのである。

科学の世界だけでなく、私たちの周りでも多くの偏見や常識が立ちはだかっている。合理的な論理思考が通じないことも多くある。ガリレオの生涯は、旧来の価値観に対して、新しい考え方が可能性を広げることを妨げてはならない、ということを教えてくれる。そうした警句として、ガリレオの指は、今でも天を指し示している。

【参考文献】
ガリレオ 『天文対話』 岩波書店
磯辺琇三 『宇宙はこうして発見された』 河出書房新社
ジョルジュ・ミノワ 『ガリレオ白水社
ティーファーガソン 『宇宙を測る』 講談社
杉晴夫 『天才たちの科学史平凡社新書
ピーター・アトキンス 『ガリレオの指 現代科学を動かす10大理論』 早川書房
渡辺潤一 『ガリレオがひらいた宇宙のとびら』 旬報社
サイモン・シン 『ビッグバン宇宙論 上・下』 新潮社
南川三治郎・雨宮紀子 『メディチ家世界文化社