フェルメール ギターを弾く女
絵は聖パトリックの夜に、
もっとも狂気に満ちた劇的な方法で燃やされるだろう
(フェルメールを盗んだ犯人からのメッセージ)
フェルメール 『ギターを弾く女』 1673-74 ケンウッド・ハウス
1974年2月23日、ロンドン市内北部、ハムステッド・ヒース公園の北端にある美術館、ケンウッド・ハウスから一点の絵画が盗まれた。
扉をハンマーで壊されて侵入されたのである。
その絵とは、フェルメールの『ギターを弾く女』である。
13億円の値打ちがあると言われた絵画であった。
11日後、ロンドン警視庁に脅迫状が、小さなキャンバス片(0.6×2.5㎝)とともに届けられた。
「プライス姉妹をアイルランドに移送せよ」と。
「われわれは狂気を最後まで貫徹する。絵は聖パトリックの夜に、もっとも狂気に満ちた劇的な方法で燃やされるだろう」
アイルランドの過激派IRAが、捕えられた仲間のプライス姉妹の身柄と引き換えに、盗まれた絵を返すというのである。
捜査を担当していたロンドン警視庁は、この交渉には頑として応じなかった。
盗まれて72日後、捜査本部に一本の電話があった。
「絵は、セントバーソロミュー教会に置いてある」
駆けつけた捜査員は、教会の墓地の墓石とその傍の木の間に、墓石に立てかけられるように、新聞紙に包まれて絵は発見されたのである。
この事件の犯人は捕まっていない。
美術品盗難事件を専門としたチャールズ・ヒル氏は、「なぜ教会の墓地に絵を置いたのか」という質問に、「犯人はIRAの支持者だと思っている。犯人が絵を返したのは、人々に非難されたのと、プライス姉妹が、絵を無傷で返すように犯人に訴えたからだ」と答えていた。
こうした美術品の盗難は、「誘拐」だという。毎年、60億円の美術品盗難事件が発生しており、美術品が戻る確立は10%以下と言われている。
ケンウッド・ハウス 1700年頃建設
この絵は正直なところ、フェルメールファンにはあまり人気があるとはいえない。精彩がない、平板だ、ぼやけている、構図がよくない、フェルメール晩年の作で衰退期の作品だ、保存状態がよくない・・。
しかし、他の作品には見られない特徴があるという。キャンバス地を補強するためにその裏側にもう一枚のキャンバス地を貼り合わせ絵を補強するが、その時の熱処理で、絵のオリジナルな表面がフラットになってしまう。この絵にはそれがない。木枠が外された形跡もない。最初にキャンバスが貼られた時以来の状態をずっと保っている。盗難の時のダメージも受けていない。
さらに、ほとんど後世の修復を受けていない。木枠もそのまま、裏打ち処理もなく、修復や上塗りもない。この絵のテクスチャーは完全にオリジナルそのままなのである。額も当時のままで、フェルメール家の所有品と思われている。
それゆえ、この絵は脆弱で、細心の注意を払って保全する必要がある。
そうしたこともあってか、この絵は展覧会に貸し出されたことはなく、ここケンウッド・ハウスでしか見られない。
絵に添えられた注釈にはこう書かれている。
「この絵はフェルメールの死後、彼の未亡人によって膨大な借金の支払いに充てられた。しかし、その後、彼女は必死に絵を取り戻そうとした。この事実は、絵が夫妻の娘エリザベス(当時10代)を描いたものである可能性を示唆する」
(つづく)
【出典・参考文献】
小林頼子 『フェルメール』 角川文庫 2008年
朽木ゆり子 『フェルメール全点踏破の旅』 集英社新書 2006年
福岡伸一 『フェルメール 光の王国』 木楽舎 2011年