遥かなる「知」平線

歴史、科学、芸術、文学、社会一般に関するブログです。

イアン・トール 太平洋の試練(下)

敵、我にわざをなすことにつけて、
役に立たざることをば敵にまかせ、
役に立つほどのことをばおさへて、
敵にさせぬようにするところ、兵法の専なり
宮本武蔵

情報力をもって戦力差をあえてひきうける
ニミッツ、米太平洋艦隊司令長官)

今夜はいい月だなあ。
いっしょに眺めながら沈もうか?
(山口多門司令官は、総員退艦のあと飛龍の加来艦長へ言葉をかけた)


ポートモレスビー攻略と更なる東への進出が日本の戦略だったはず、しかし今や生ける軍神となった山本五十六は、海軍軍令部の意図に反しミッドウェイ攻略をゴリ押しした。

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ロシュフォートが傍受した暗号は、日本の次なる標的がミッドウェイであることを示していた。

なぜだ?何の戦略的価値もないミッドウェイをなぜ日本は攻略するのか?
偽情報ではないのか?
アメリカは疑った。

山本五十六の目的は、ミッドウェイ攻撃を囮に米空母部隊を叩くこと。しかし、米国は日本の意図はともかく、6月第一週にミッドウェイに進出することを知っていた。
日本は米国が知っていることを知らなかった。
ミッドウェイ攻撃中に、日本の空母群が攻撃を受けたらどう対応するのか。
問題をかかえたまま、ミッドウェイ攻略とそのとき不意に現れる米空母群の脅威に怯えながら機動部隊司令長官・南雲忠一は、複雑で難しいタイミングのコントロールを委ねられた。

赤城加賀飛龍蒼龍の4隻の空母を擁し、なぜ全空母から攻撃部隊をミッドウェイに発進させたのか。ミッドウェイが囮なら、当然艦載機は対艦用の爆装で敵発見の報に備えていなければならなかった。

一次攻撃隊を収容し、上空直衛戦闘機を入れ替え、二次攻撃の要を打電されて地上用爆装に切り替え、敵艦隊発見に爆装切り替えを中止・待機させ、発見した敵に空母がいるかどうか確認して対艦用爆装に変更する作業中に敵襲を受けた。

南雲忠一は、というより山本長官は、最悪のシナリオに対する手立てを持って海戦に臨まなかった。戦後、南雲は敗戦の責任者として非難され続けたが、こうした戦闘の枠組みから逃れることは難しかっただろう。

日本空母部隊にとって、準備はあまりに不十分だったとモンモには思える。
戦略とは状況をつくり出す技術」(田中芳樹)とすれば、すでにミッドウェイを攻略しようとした時点で日本は戦略上の誤りを犯した。日本軍はミッドウェイ攻略と、見えざる米空母部隊の二つを相手にしなければならなかったからだ。

アメリカの三隻(エンタープライズ、ホーネット、ヨークタウン)の空母部隊は、ただ日本の4隻の空母に忍び寄り、打撃を集中すればよかった。
宮本武蔵の冒頭の言を実行したのはアメリカだった。
ミッドウェイを囮にされたのは日本の空母部隊だった。

アメリカは、空母ヨークタウン、145機の航空機を失い、307名が戦死した。日本は主力空母4隻、重巡洋艦1、巡洋艦1、駆逐艦数隻を失い、航空機292機が撃破され、3000名以上が戦死した(艦載機搭乗員はその1/4を失った)。

これ以降、戦力の劣勢を情報力で補ったアメリカとは異なり、日本は戦力劣勢を「精神力」で補おうとする。しかし、圧倒的生産力の前に山本長官が避けたかった消耗戦を強いられることになった。

ロシュフォートは、彼と対立したワシントンの海軍省に手柄をとられ正当な評価を受けなかった。
2003年、「ミッドウェイ海戦円卓会議」(ネット上の従軍経験者と歴史家のコミュニティ)は、この海戦で「もっとも重要な戦闘員」一人の名を挙げるよう求められ、結果はニミッツとロシュフォートの引き分けになったという。

この本のなかで、読者は常に問いかけられる。この局面であなたならどうする、と。

現代、日本は中央官庁での情報漏洩が止まらない。某国からのサイバー攻撃はいうまでもなく、日本の情報はほぼ筒抜けになっていると考えたほうがいいだろう。

外交は「武器を持たない戦争」と言われる。安全保障上の対策・準備が出来ているとはとても思えない。省益優先のこの国の官僚の視野は狭く、危機感のない政治家、評論家、マスコミの言説も、もうあまり聞きたいと思わなくなった。
「情報」を巡る状況が変わらないなら、きっとミッドウェイは繰り返されるだろう

 

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かつて日米の若者たちが命をかけて戦った海、
ミッドウェイは今もなお、碧(あお)いままだろうか。