遥かなる「知」平線

歴史、科学、芸術、文学、社会一般に関するブログです。

高杉晋作 「おもしろき人生」

新年、初出勤の朝、駅への道を歩いていた。
その言葉は突然、頭の中を駆け抜けた。

肥えた豚であるよりも、痩せたソクラテスであれ

昔、東大の学長が、新入生か、卒業生に贈った言葉だったか。

 

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ソクラテス BC469-BC399.4.27

 

えっ? 私は今の境遇に満足した「肥えた豚」だって? 

・・なにも「考えていない」だと?

ちょっと愕然としつつ、歩きながら、しばしその意味を考えていた。

人生を楽しむには、勇気と想像力とちょっぴりのお金があればいい。

また何の脈絡もなく、こんどはチャップリンの言葉だ。

 

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チャップリン

 

つまり、・・「ソクラテスのごとく考えよ、そして人生を楽しめ」ということなのだな。
そのためには「勇気と想像力」があればいいと。

人は、一度きりの人生しか生きられない。
様々な境遇を引受けつつ、万人に等しく与えられた時間を生きる。

うまくいかないことも多い。
幸運もあり、不運なこともある。

「みんな楽しく、幸せに」なんて言葉を信じるほど子供でもない。
「自分探しの旅」なんて「青い」余裕もなかった。

辛いことのほうが多いかも知れない。

苦しい記憶こそ「楽しい」思い出となることもある。
二度と体験したくないほど苦しかったのにである。

 

おもしろきこともなき世におもしろく、すみなすものは心なりけり

高杉晋作はこの辞世の句を残して27年の生涯を終えた。

 

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高杉晋作 1839.9.27-1867.5.17

 

高杉晋作は、尊王攘夷長州藩
久坂玄瑞らと共に吉田松陰門下である。過激すぎて藩に睨まれ獄にも入った。

攘夷派として、米仏と下関戦争を戦い惨敗(1863年5月)。
1864年8月には、英仏米蘭4カ国艦隊によって下関砲台を占拠され、その和議交渉を担い、領土要求だけは頑として受け付けなかった。

この経験から、長州藩は、尊王攘夷から尊王倒幕へ舵を切る。

長州藩は、禁門の変(1864年7月)で京都で薩摩会津藩に敗れ朝敵となり、2度にわたって幕府による長州征伐を受ける。 第一次長州征伐のなかで、奇兵隊らの功山寺挙兵でクーデターを起こし、俗論派を破り藩の実権を握る。(1865年3月)

薩長同盟(1866年1月)の後、第二次長州征伐(四境戦争)では海軍総督として戦い抜き、幕府軍を破った。
そして大政奉還を見ずに、1867年5月17日結核のため27歳で亡くなる。
中国上海へ渡り、植民地化されていくや、太平天国の乱を見聞した時から数えて、たった5年しかたっていない。

長州藩のいわば内憂外患の時を、同志たちと駆け抜け、中核メンバーとして明治を切り拓いた。
これが高杉晋作の「おもしろく」生きた27年間であったのだ。

「楽しい」「おもしろい」
きっと言葉の概念が、違うのかも知れない。

さあ、どうだろう。
たった一度の人生。

高杉晋作のごとく、「おもしろき」人生を歩まんとする勇気を。

ソクラテスのごとく考えよ、勇気と想像力で人生を楽しめ」という天啓は、
「おもしろき」人生にせよ、という天の声であったか。