遥かなる「知」平線

歴史、科学、芸術、文学、社会一般に関するブログです。

ヴァレリ 「海辺の墓地」から(1)

ああ 思念のはての慰めよ 
神々の静けさへのひたすらな凝視よ
(ヴァレリ「海辺の墓地」から)

 

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南仏セート 海辺の墓地

 

大学を出て就職したとき、東京に何冊かの本を持ってきた。
シェイクスピア2冊(新潮社・世界文学全集)、辻邦生の『背教者ユリアヌス』と『海辺の墓地から』の4冊だった。

生涯の一冊となった『背教者ユリアヌス』はもう手元にはないが、かなりの年月の間に、4~5回の引っ越しをくぐり抜けて、シェイクスピアと『海辺の墓地から』が、今なお膨大な書籍のなかで書棚の一等地を占めている。

『海辺の墓地から』はもう随分痛んでしまった。ブルーの箱に入った立派な装丁の本で、ビニールのカバーをかけて箱に納めていたのだが、長い間に傷んでしまい、カバー表面の下半分はまだらな紫に変色し、紙面も酸化して茶色になってしまった。

辻邦生のエッセイ集なのだが、『回廊にて』『夏の砦』『安土往還記』『嵯峨野明月記』などを生み出す彼の思索が『モンマルトル日記』とともにそこには込められている。

事情あってこの忘れ難い本を何年か振りに手にとって、表題になった最初のエッセー「海辺の墓地から」を読んだ。

彼の流麗な文章を少しご紹介し、なぜこの記事を書いたのかを後に書きたいと思う。2回に分けての連載となるが、しばしお付き合い願えないだろうか。

灼熱のスペインから地中海の青い海が見たくなって南仏セートに着いた辻邦生は、金もなくユース・ホステルに泊まる。翌朝早く、地下室の部屋の向こうに海が暗く見え、水平線から昇る太陽の光で目を覚まし、まだ寝静まったセートの町を歩いた。

特にヴァレリの墓を詣でるつもりでセートに来たわけではないが、海辺の墓地へ見当をつけて歩いた。

赤褐色の屋根瓦、白い壁の家々が、清潔に、ひっそりと並んでいる。潮の香りが流れてくる。家と家のあいだに見える海は、刻々に青くなってゆく。?が港から丘の斜面へ舞いあがった。・・・

水平線を離れたばかりの太陽が、白い大理石の墓標をばら色に染め、幻想と幸福にみちた童話の都会を見るようだった。・・・

風一つなく、音一つしなかった。むろん早朝のこととて、人影もなかった。朝の光に照らされて、私ひとりが、その浄らかな静けさのなかに立っていた。

ヴァレリの墓は、つつましく目立たず、『海辺の墓地』の詩句2行が刻まれているだけだった。

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ヴァレリの墓(セート 海辺の墓地)

 
ああ 思念のはての慰めよ 

神々の静けさへのひたすらな凝視よ

「その詩句は氷河の裂け目に落ちてゆくこだまのように、私の心の中にひびいていった。私はその墓石のそばに坐り、放心して、時のたつのを忘れた。」

セートをたつ前に、もう一度海辺の墓地へ行った時、すでに陽は高く、セートに着いた翌朝の様子とはまるで違っていた。

「真夏の光にさらされた、平凡な、物質感にみちた墓地があるだけだった。しかしその死者たちの家を囲むようにして、青い地中海の波が、南仏の濃い青空とともに、この岬を包んでいた。

輝く太陽のしたで、地中海の拡がりは息をのむほどに青かった。その青のなかに大理石の墓石の群れが白く輝いているのだった。

白い鳩たちの歩む静かな屋根よ
黒松のあいだ、墓石のあいだに鼓動して

とヴァレリがうたった海は、まさしくこの青さのみなぎりわたるなかで、過剰な光を浴びていなければならなかった。それは透明で、満ちあふれた、炎のような光だった。

真夏の輝きが炎でつくる海
海よ 海よ よみがえりて止まぬ海よ

そう呼びかけられた海は、まさしくこの甘やかな青さに満ちわたっていなければならなかった。

しかし『海辺の墓地』にうたわれたのは、こうした清浄な海への賛歌ではなく、むしろ地中海的な自然の輝かしさと対比される、存在の無常から生れた絶望である。墓石に示されるのは、不死への憧れに対する嘲笑であり、否定であった。

岬をつつむ海の青さ、空の青さが、清らかな真昼の光に満たされれば満たされるだけ、この人間の営みの空しさがあばき出される。海の青さは、「自然」という果てしない虚無の深淵にのぞいている色彩にほかならなかった。」

「光に満ちた虚無」、しかしヴァレリは「あくまで虚無や不在の否定力に対して、その否定を通しての存在の肯定をうたっていた。・・・生の移ろい易さのゆえに、生に内在する豊かな意味を見出そうとする決意を、『海辺の墓地』は、はっきりとうたっていたのである。」

(次回へ続く)