遥かなる「知」平線

歴史、科学、芸術、文学、社会一般に関するブログです。

ヴァレリ 「海辺の墓地」から(2)

Le vent se leve.
Il faut tenter de vivre!
風がたつ・・・いまこそ生きようとしなければならぬ
(ポール・ヴァレリ 1871.10.30-1945.7.20)

 

f:id:monmocafe:20190519201912j:plain

ユトリロ ノートル=ダム・ド・ボンヌ・ギャルド大聖堂 1925年

 

「生への確信」をなかなか掴み切れないでいた辻邦生を、ヴァレリーの詩句の「硬質な存在感」やギリシャ神殿の「高貴さ」が、根底から覆すことになった。

「たしかに生は不確かな、移ろい易さの中に置かれている。しかしそれをかかるものとして認め、引きうけるのは私たちの思念にほかなら」ず、「私たちの凝固しがちな、書斎臭い、分析的な思考に対して、それに爽やかな風を吹きこみ、花の香りや、空の青さをもたらすのは、まがうかたない<生>そのものなのだ」と。

「私はそうした思いに全身が染めあげられるために旅へ出たのであった。そして、菩提樹が葉をひろげる村の広場や、クレーンのきしむ港や、暗い大都会の片隅で、日々、私は自分の転身を願ったのだ。」

否、否・・・・立て、相つぐ時代の中に
わが肉体よ、この思念の形を打ち砕け
わが胸よ、風の生誕を飲みつくせ
・・・
風がたつ・・・いまこそ生きようとしなければならぬ
はるばると吹く風は私の書物を開き、また閉ざす
くだける波は岩からはねかかる、
ああ、飛び去れよ、まばゆい書物の頁よ

それまで、身の回りにあった平凡な風景が、突然、豊かな色彩に彩られ、彼に迫ってきた。それらは「輝くようであり、笑うようであり、うたうようであった。私は、そんな豊かな、すばらしいものに囲まれていたとは、つい、その瞬間まで気づかなかった」

フランス語は原文では読めず、ヴァレリの詩は、訳本でしか知らないが、訳者によって印象がとても違ったものになる。辻邦生はフランス文学者でもあり、彼自身が訳したヴァレリの詩が、私にも迫ってきたのを昨日のことのように思い出す。

旅先で感じた地中海の青い海、白い墓石が立ち並ぶ海辺の墓地の風景。
人間の営みが地球史からみればほんの一瞬であっても、それを引受け、その一瞬に生きることの素晴らしさをヴァレリの詩句は高らかにうたい上げている。

パリの屋根裏部屋で独り、生の確かさを求めて転身を願った辻邦生にとって、ヴァレリの「海辺の墓地」は天啓であった。

事情あって生活環境を変えた私は、時を隔てて再びこのエッセイを読みたいと思った。辻邦生にとってヴァレリーの詩が彼の人生の転機となったように、私にとっても就職で東京に来た時、そして今回の環境変化の時期に、すっかり古びて変色してしまった『海辺の墓地から』のページをめくりながら、新しいスタートを確認したかったのだ。


風がたつ・・・いまこそ生きようとしなければならぬ
はるばると吹く風は私の書物を開き、また閉ざす
くだける波は岩からはねかかる、
ああ、飛び去れよ、まばゆい書物の頁よ

モンモ・カフェオーレ、二度目の航海の、これは祝祭の詩となる。

【出典】
辻邦生 『海辺の墓地から 辻邦生第一エッセー集』新潮社 1974年