遥かなる「知」平線

歴史、科学、芸術、文学、社会一般に関するブログです。

ダ・ヴィンチ ジネヴラ・デ・ベンチの肖像

レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯 (6)


リアルは、創作を越えて刺激的に見る者の脳に飛び込む。
君塚良一
(注)「事件は会議室で起こっているんじゃない、現場で起こっているんだ」の脚本家。

過去は変えられないもの。
未来は見ようと努力するもの。
そして、現在はいまこのときであり、ベストを尽くすところ。
トム・クランシ― 『合衆国崩壊』 新潮文庫

 

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ダ・ヴィンチ 『ジネヴラ・デ・ベンチの肖像』1474年頃 ナショナル・ギャラリー・オブ・アート

 

ダ・ヴィンチの初期の作品で、『受胎告知』とともに重要なのが『ジネヴラ・デ・ベンチの肖像』だ。モデルとなったのは、フィレンツェの銀行家アメリゴ・デ・ベンチの娘ジネヴラである。

ジネヴラの肖像画は正方形に近いポプラ板の両面に描かれている。

表側はネズの木(イタリア語でジネプロといい、ジネヴラとかけている)を背景に立つジネヴラで遠景はトスカーナの田園風景である。当時ジネヴラは16歳。彼女は2倍も年の離れた政務官ルイジ・ニコッリーニと結婚を控え(結婚直後という説もあり)、それが青白く無表情な表情に表れているのかもしれない。

裏側には、別の絵が描かれている。ナショナル・ギャラリー・オブ・アートの調査によると、ベンチ家の座右の銘美は徳を飾る」の下に、「徳と名誉」という言葉が隠れていた。この言葉はダ・ヴィンチに絵を依頼したとされるヴェネツィア大使ベルナルド・ボンベ座右の銘で、彼はまたジネヴラのプラトニックな恋人であったともされる。

 

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ナショナル・ギャラリー・オブ・アートが復元した『ジネヴラ・デ・ベンチの肖像』の裏面

 

ほぼ正方形のポプラ板に描かれている絵なのだが、実は右辺と底辺に損傷の跡があり、のこぎりで切断されたことが判明している。

ダヴィンチの肖像画には手が表情豊かに描かれることから、ブラウン博士とナショナル・ギャラリー・オブ・アートが、ウィンザー城王室コレクション所蔵のダ・ヴィンチ手の習作」を裏側の絵を手掛かりにデジタル合成すると、驚くべきことに下の絵のようになった。もちろんデジタル合成なので、ダ・ヴィンチの絵とは質感は異なるが、ダ・ヴィンチが意図したジネヴラのポーズを知ることができる。

 

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ナショナル・ギャラリー・オブ・アートが、ウィンザー城王室コレクション「手の習作」を元に復元した
『ジネヴラ・デ・ベンチの肖像』

 

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ウィンザー城王室コレクション「手の習作」

 

1992年、この絵の汚れ落としを行った際に、ジネヴラの首のすぐ右、ネズの葉が茂っているところにダ・ヴィンチの指紋が見つかった。同じ年に『チェチリア・ガレッラー二の肖像』がアメリカにやってきた時に、ナショナル・ギャラリー・オブ・アートがやはり首筋に指紋を発見している。

この指紋の発見は、ダ・ヴィンチが直接指で絵具を薄塗りしていく手法(ヴェラトゥーレ技法)を行っていたという裏付けになった。
ナショナル・ギャラr-は指紋撮影装置はもっておらず、FBI研究所に撮影を依頼したので、ダ・ヴィンチの指紋はいまFBIのファイルに入っているという。

(続く)