遥かなる「知」平線

歴史、科学、芸術、文学、社会一般に関するブログです。

ロンドン五輪 「なでしこ」とフェルプス

歴史を刻むということは、
自分を追求して一歩一歩、紆余曲折しながらたどるうち、
図らずも到達する金字塔なのだろう。
(結城和香子 読売新聞編集委員

ここで体験したどんな瞬間も、
すべて僕の中に永遠に残しておきたいと思っていた。
一つ一つを心に刻み込んで。
マイケル・フェルプス

僕のを含め、記録はいつかは破られる。
確かなのは、人が心を決めて夢を追ったら、
不可能はない、ということだ。
(マーク・スピッツ(米)1972年五輪7冠を達成した水泳選手)

 

ロンドン五輪は、17日間の戦いを終えた。歴史的偉業を達成し、印象に残った選手は数多くいるが、今日は「なでしこ」とマイケル・フェルプスについて書いてみよう。

 

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7月25日、ロンドン五輪サッカー女子日本代表「なでしこ」主将 宮間あやは、グループリーグ初戦となるカナダ戦を前に、メンバーにこう話した。

ここに立てるのは選ばれた18人だけだ。
大切な想いや大切な人たちがいて、私たちは戦っている。
ここからの6試合、お互いのために戦おう

選手たちは、この宮間の言葉を胸に、カナダ戦のピッチへ出て行った。

グループリーグ戦、決勝トーナメントを勝ち上がり、決勝でアメリカと戦った。

W杯の再現となったが、結果は一点差で敗れ、米国チームのリベンジが成った。
しかし、米国ゴール前に何度となく迫り、米国選手をゴール前に釘づけにしたシーンを何度もつくった。米国はゴールバーにも救われた。日本が勝ってもいい試合内容だった。

観る人によっても評価が分かれるだろうが、なでしこは、米国の一方的な攻撃を耐え忍んだW杯の時よりずっといい試合をしていたと思う。試合直後、宮間は泣き崩れたが、表彰式のなでしこの笑顔はこの試合内容を物語っていた。

みごとな宮間のキャプテンシーであったと思う。胸を張っていい銀メダルだ。

 

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北京五輪の時、男子水泳マイケル・フェルプス(米)は、1972年にマーク・スピッツ(米)の7冠(7つの世界新)を超えて8冠となった。

この北京五輪で7つの世界新、1つの五輪新を達成した表彰式が終わったとき、彼は、
「全選手が歩き出す喧騒の中で、一人自失したように立ち止まり、
両腕を静かに天に伸ばした。

ここで体験したどんな瞬間も、
すべて僕の中に永遠に残しておきたいと思っていた。
一つ一つを心に刻み込んで。』」
(2008.8読売新聞)

そしてロンドン五輪、彼は五輪史上最多の22個のメダル(金18個)を獲得した。国際水連から「最も偉大な五輪選手」の名を贈られたのである。そして8月4日フェルプスは引退を表明した。
「水泳でやりたいことはすべて実現した。次の挑戦を探す時」と。

フェルプスはいつも、この一瞬一瞬を吸収し、記憶にとどめるのだと言ってきた。
歴史を書き換えた張本人は、自分の日記に何と記すのか?
今はただ、「俺はやった」の一言だけ。
長い年月がたった後で、きっと書けるようになる』」
(2012.8.7読売新聞 編集委員 結城和香子)

今はまだ、言葉は不要だ。