ダ・ヴィンチ 東方三博士の礼拝
レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯 (8)
この男は、何事をも成しとげられぬだろう。
はじめもしないうちから、
もう終わりのことを考えているからだ。
(ローマ教皇 レオ10世)
ダ・ヴィンチがフィレンツェからミラノへ行く前に描いた、未完のままに終わった二枚の絵がある。『東方三博士(三賢王)の礼拝』と『聖ヒエロニムス』だ。
まずは、『東方三博士の礼拝』から。
ダ・ヴィンチ 『東方三博士の礼拝』 ウフィッツィ美術館 1481年
この絵は、アウグスティノ会サン・ドナト・ア・スコペト修道院が、教会の祭壇飾りとして依頼したものであった。
1481年3月のダ・ヴィンチと修道院で取り交わした契約の内容は、下記。
・完成期限は30カ月。
・必要な絵具・材料はダ・ヴィンチが用意する。
・報酬の前払いはなし。作品の引き渡し後一括払いとする。
・支払は教会の有力な後援者が遺贈した土地の1/3。
土地の所有権がダ・ヴィンチのものになるが、3年間は売ることも、それを担保に金を借りることもできない。売る場合は、教会へ300フロリンで売る。
・期限に間に合わなければ、作品は没収し、報酬はなし。
ダ・ヴィンチに、この一方的な契約はないだろうと思うのだが、まだその頃はあまり贅沢は言えない境遇にあったのだと思う。父ピエロが修道院の管財人をしていたので、不利な契約でも仕事を持ってきてくれたのかも知れない。
この絵は、誕生したイエスとマリアを祝福に来た東方の三人の博士(賢王)の様子が描かれている。荒廃したギリシャ・ローマ風の宮殿は、衰退する異教の象徴で、それとは対照的に、これから隆盛するであろうキリスト教が、イエスの頭部付近から中央部に描かれる青々とした木に象徴されている。
一人目のバルタザールがイエスに乳香の壺を渡し、左側で二人目のガスパールが深々と頭を垂れている。ガスパールの前で膝まづいているのが三人目のメルキオールだ。画面右下の羊飼いの少年は、ダ・ヴィンチの自画像とも言われている。
この絵の習作が残されている。様々な人物像と遠近法の習作である。
これらの習作は、ダ・ヴィンチの絵の構想過程を知る上でとても興味深いものがある。
ダ・ヴィンチ 『「東方三博士の礼拝」の構図スケッチ』 ルーヴル美術館 1481年頃
まずその絵の構造とでも言うべきものを創る。絵画のインフラとでも言うべきものを構想する力が、天才と言われる所以だ。習作はそのプロセスを私たちに示してくれる。
ダ・ヴィンチ 『「東方三博士の礼拝」のための遠近法秀作』 ウフィッツィ美術館 1481年頃
しかし、絵は未完のまま残された。
修道院は、フィリッピーノ・リッピに改めて依頼し、6年後祭壇飾りは完成した。
批評家マキシン・アナベルは、「独自の創作スタイルの萌芽」とし、「鋭い予感を呼び起こす夢のようなできばえ」といい、その後の彼の傑作への予告編だとしている。
ウフィッツィ美術館の展示室の様子をご覧頂こう。
ウフィッツィ美術館 レオナルド・ダ・ヴィンチの部屋
ダ・ヴィンチ 『東方三博士の礼拝』(左端)、『受胎告知』(右端)
ヴェロッキオ 『キリストの洗礼』(左から二点目)
ピエロ・デ・コジモ 『無原罪懐胎』(右から二点目)
未完の作品の、この圧倒的な存在感が、おわかり頂けるかも知れない。未完なのにウフィッツィ美術館にとっては、目玉となる作品の一つなのである。
(続く)