遥かなる「知」平線

歴史、科学、芸術、文学、社会一般に関するブログです。

信長 安土城(1)

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この尾張の王は、年齢37歳なるべく、長身痩躯、髭少なし、
声はなはだ高く、非常に武技を好み、粗野なり。・・・
決断を秘し、戦術に巧みにしてほとんど規律に服せず、
部下の進言にしたがうこと稀なり。・・・
よき理解力と明晰なる判断力とを有し、
神仏その他偶像を軽視し、異教いっさいのうらないを信ぜず、・・・
宇宙の造主なく、霊魂の不滅なることなく、
死後なにごとも存ぜざることを明らかに説けり。
ルイス・フロイス


16世紀後半といえば、西欧なら後期ルネサンスの時期にあたる。
フィレンツェの当時の建物をみれば、現代にあってもサンタ・マリア・ノヴェッラ教会サンタ・マリア・デル・フィオ―レ大聖堂も、まるで近未来の建築物のように見える。

同じ時期、極東の日本、琵琶湖の畔に、ルネサンス期の建築物に勝るとも劣らない圧倒的な建造物があった。織田信長が、1576年~79年にかけて、内装を入れると81年頃までに築いた安土城である。
本能寺の変後に炎上したこの城こそ、中世と近世を隔する建造物だったのである。

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【外観】
安土山の標高は199メートル。琵琶湖の湖面から110メートル。その頂きに天主がそびえていた。地下1階地上6階の7重の構造をもち、南北40メートル、東西34メートル、高さ32メートルの、琵琶湖の湖面からは、山の高さと合わせて140メートル以上の高さになる建造物だ。
戦国時代の人々からみれば、それはまさに驚異的な建物だったのである。

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(信長)は、中央の山の頂きに宮殿と城を築いたが、その構造と堅固さ、財宝と華麗さにおいて、それらはヨーロッパのもっとも壮大な城に比肩し得るものである。・・・多くの美しい豪華な邸宅を内部に有していた。それらにはいずれも金が施されており、人力をもってしてはこれ以上到達し得ないほど清潔で見事な出来栄えを示していた。そして(城の)真中には彼らが天守と呼ぶ一種の塔があり、我らヨーロッパの塔よりもはるかに気品があり壮大な別種の建築である」(ルイス・フロイス『日本史』)

信長公記』には、天主は座敷が金で飾られ、部屋には狩野永徳が描いた様々な絵があり、「言語道断面白き」ものであったことが記されている。安土城はただの城ではなかった。金で飾られた芸術作品だったのである。

【位置】
信長は岐阜城から安土の地へ、全国制覇に乗り出すためにその根拠地を移したが、それは周到な考えのもとになされたことが下記の配置図をみるとよくわかる。

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琵琶湖周囲の城郭配置図 (「歴史街道」2001年3月号)

琵琶湖の南端に坂本城(1571年光秀)、北東に長浜城(1575年秀吉)を配し、その東側中央に安土城を築いた。背後に尾張、岐阜への補給路を確保し、南北に光秀、秀吉の二枚看板を配しての近畿進出だったのである。しかも、坂本城からは京都へ短時間で行ける。
さらに、琵琶湖西側中央部には大溝城(1578年織田信澄)を築き、琵琶湖に4つの拠点のネットワークを作った。琵琶湖西岸側に、いまだ敵対する勢力に対し、このネットワークで54メートルもの世界最大の大型船による補給と戦闘を可能にしたのだ。

【本丸御殿】
天主の東側に、本丸御殿があった。200坪以上の広さの御殿は、天皇の住む京都「清涼殿」を東西を逆にした建物になっているという。というより、天正17年に秀吉が、慶長18年に徳川家が建てた「清涼殿」の原型になっているというのだ。
ではなぜ、信長は、清涼殿のひな型を作ったのか。それは、そこに天皇を招こうとしたのではないかと考えられている。

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安土城天主(左)と本丸御殿(右下)

「本丸御殿は、日常的には城主が住み、戦時に天主に入る」というのがその後の常識だった。その本丸御殿が天皇の居場所なら、城主たる信長はどこに住んだのか。信長は天主に住んだのである。これは、それ以降の城の使われ方、機能面で全く異なるものであった。

信長の天皇に対する態度については、天皇の権威を無視して一方的な専制体制を築こうとしていた、という見方があったが、この本丸御殿を見るかぎり、信長は天皇の価値を認めその権威を利用しようとしていたのではないかと考えられている。
本丸御殿はしかし、京都「清涼殿」とは逆の西側を正面としている。西側にはなにがあるか。信長が住まう天主がそびえ立っている。それは信長の天皇に対する位置づけを示しているのか。

(つづく)