遥かなる「知」平線

歴史、科学、芸術、文学、社会一般に関するブログです。

葛西紀明の銀メダル

技術は教えることが出来る。
しかし、重圧を乗り越える術を教えることはできない。
NHK「プロフェッショナル」或る心臓外科医の番組から)

何事も前向きに行動することが可能性を生む。
石田雄太 『イチロー・インタヴューズ』)

やってみるのではない。やるかやらぬかだ。
(サミュエル・ベケット

風圧に耐え、
それを受け入れたり乗り越えたりできる者だけが、
新しいステージに上がっていける。
斎藤孝 『違和感のチカラ』)

根拠がなくても、
「自分にはできるんだ」と信じられる人は、
リスクに対する不必要な不安から解放され、
脳の活動も前向きになる。
茂木健一郎脳科学者)

 

2月15日、ソチ五輪スキージャンプ男子個人ラージヒル葛西紀明選手が2位となり、7度目の五輪出場で念願の個人銀メダルを獲得した。
1992年のリレハンメル大会で団体2位の銀メダルはあったが、個人種目では初のメダル獲得となった。さらに団体でも銅メダルを獲得した。

 

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41歳254日でのメダル獲得は、冬季五輪の日本人では最年長の記録となった。
それにしても、19歳でアルベールヒル大会に出場して以来、連続7大会に出場しながら怪我などで個人メダルには無縁だった。25歳だった長野大会でも、団体優勝の輪の中に彼の姿はなかった。

でも競技をやめなかった。長野の悔しさがモチベーションになったという。
「よかった、努力が報われた」と思い、
もう引退しても悔いはないだろうと思っていたら、なんと、
次の目標ができた」である。
「えっ、まだやるの?」と、こちらの方がぶっ飛んでしまった(爆)。

銅メダルだったプレブツスロベニア)は、次のように言う。
「彼がW杯を飛び始めた時、僕は生れてもいなかった。彼に負けるといつも『自分はあと20年は成長できる』と言い聞かせるんだ」

かつては、その飛形の美しさから「カミカゼ葛西」と呼ばれた。最近では最適な飛形を求めて「モモンガ」を理想形としていたようで、さしづめ「モモンガ葛西」か。
本人曰く、

「もっと完璧なジャンプをして次は金メダルを取りたい。45歳、49歳でも、体力と技術はもっと向上する」
このどこまでも前向きな言やいかに、論評は不要だ。

ノルウエ―では、この41歳でなお世界のトップクラスで活躍する葛西選手を「レジェンド(伝説)」と呼ぶ。
小さい子が転べば、「イタイの、イタイの、飛んでけー」だが、
それならば、レジェンド葛西には、
「いつまでも、どこまでも、飛んでけー」と、言うしかないか。

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一方で、不調だった女子フィギュアSPが頭をよぎる。
競技種目によって選手寿命は違うので、スキージャンプのようにはいかないだろうが、コストナー選手や鈴木選手の例もある。引退を決めている浅田真央選手に「次の五輪」を期待する気持ちも少しあるのだが・・・。
でもとりあえずはあと一回、フリーに向けて、自分を信じて、諦めずに最後まで頑張って欲しいと祈らずにいられない。