遥かなる「知」平線

歴史、科学、芸術、文学、社会一般に関するブログです。

鈴木大拙館 金沢再訪(2)

単なる論理はけっしてわれわれを動かさない。
そこには知性を越えた何かがなければならぬ。
(『禅』工藤澄子訳/鈴木大拙全集[増補新版]第14巻)

人間は自分で自分を作る・・・
人間の人間たるところはその創造性にある・・・
創造の世界に入ることによりて、またよく自由の真義に徹する。
この境地以外に自由はない・・・
この境地でまた平和を説くことが可能になる。
平和・自由・創造・・・いずれも繋がっている。
その一つが得られると、他は自らついて来る
(「平和の実現につきて」鈴木大拙全集[増補新版]第33巻)


禅(ZEN)の文化を世界に広めた仏教哲学者の鈴木大拙は金沢出身です。
ケンブリッジ大学ハーバード大学でも講演をし、80歳を過ぎてもなお精力的にプリンストン大学コロンビア大学で講義を行っていたといいます。ひょっとしたら日本でよりも、海外でその名を知られているかもしれません。E・フロム、カール・ユングハイデガーらとも交流があったようです。

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鈴木大拙 1870.11.11-1966.7.12 享年95歳

モンモは禅や仏教哲学にはほとんど知識がありませんが、名前だけは知っていましたので、鈴木大拙を訪れました。目的があったわけでもなく、たまたま行ってみようと思っただけなのです。そして、その偶然に感謝しました。

博物館でもなく、展示館でもなく、それは「思索の館」とでも言うべき場所でした。
100冊あまりの著作(うち23冊が英書)、何枚かの写真、自らの筆になる4~5枚ほどの墨跡、展示品と言えるものはそれくらいです。

あとは、緑と水と光と建物が創り出す静謐な空間。
建築はまた、美と思想を体現する装置であると改めて思ったのです。

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この空間はメッセージなのでしょう。
或は、日々喧噪に包まれて生きている私たちへの、私たちはなにものなのかという根源的な問い、でしょうか。

何ごとにも囚われずに、自由に生きよ。
いまここにある場所に立ち、自らの眼で見、自らの頭で考え、
全身で光を浴び、風を感じ、
鳥の声を聞き、自然のなかで、自らの存在の根源を問え。

そんな思念に包まれている世界。

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Man is thinking reed,but his great works are done
when he is not calculating and thinking.
'Childlikeness'has to be restored after long years of
training in the art of self forgetfulness.
When this is attained,man thinks yet he does not think.

He thinks like showers coming down from the sky;
he thinks like waves rolling on the ocean;
he thinks like stars illuminating the mighty heavens;
he thinks like the green foliage shooting forth into the Spring breeze.
Indeed,he is the showers,the ocean,the stars,the foliage.

(訳)
人は考える葦である。
だが、人間の偉大な仕事は、
彼が計算していない時、考えていないときになされる。
「無心」が永年にわたる自己忘却の修練ののちに回復されねばならぬ。
このことの成る時、人は考えながら、しかも考えない。

彼は空から降る夕立のように考える。
海原にうねる波のように考える。
夜ぞらに輝く星のように考える。
爽快な春風にめぐむ木の葉のように考える。
実に、彼は、夕立であり、海原であり、星であり、木の葉である。

[ヘリゲル「『禅と弓』への序文」増谷文雄訳/岩波書店鈴木大拙全集[増補新版]』第35巻P104]

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金沢という場所でもなく、日本という国でもなく、地球という惑星でもない精神空間に私たちを誘う。その場所は、去りがたく、いつまでも佇んでいたいと思う思索の領域。
ここを通り過ぎるだけで、人は何かを感じることができるだろう。
忘れられた何か、人間にとって大切な何かを感じ取って、ここからまた出発することができるかも知れないと思わせる。

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戦争と平和、自由とは何か、それらを静かに想う場所にもなる。

プーチン習近平らをここに招待し、お茶でも飲みながら静かに語らえば、彼らも平和について、世界への責任について思いを巡らせることが出来るかも知れない。鈴木大拙が書いた何冊かの本を読んだのち、また再びこの場所を訪れることにしよう。
(注)上記写真、鈴木大拙氏の文章は案内冊子「鈴木大拙館」および館の資料から記載させて頂きました。