遥かなる「知」平線

歴史、科学、芸術、文学、社会一般に関するブログです。

松風閣庭園と本多の茶壷 金沢再訪(3)

朝ごとに、ものみなあらたにはじまり、
朝ごとに、世界はあたらしくなる
モンゴメリ 『アンの青春』)

人間は、その日を摘むこと、日々を楽しむことしかできない・・・
なぜなら、人間はいつか死ぬからだ。
伊坂幸太郎 『死神の浮力』)

エネルギーを報復や憎悪、そんなものに消費するよりも
自分の人生をよりよい方向で使っていくことが重要だ。
(ディノ・ラジャ;NBAブルズ三連覇に貢献したクロアチア人)


鈴木大拙のそばの散策路に入るとすぐ左手に松風閣庭園があります。最初はどんな所か分からずに、その苔むした風情に思わず足を踏み入れたのですが、それは静かで美しい庭園でした。

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松風閣庭園

苔を傷めないように並べられた石の上を歩いていくと右手に池(霞ヶ池)が現れ、大きな鯉が何匹か水面に静かな波をたてながら悠然と泳いでいます。

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霞ヶ池

ここはどのようなところなのか、と思いつつ歩いて行くと、池に落ちた木々の葉を網ですくっている80代とおぼしきご老人がおりました。
思わず、「ここはなに?」
とぶしつけな問いに嫌な顔一つせず、答えを整理していたのでしょう、暫し視線を宙に泳がせてから、丁寧に説明してくれました。

ここは加賀本多家の領地に造られた庭園で、12代藩主の斉広(なりなが)の娘寿々(すず)姫が本多家9代正和に輿入れした際に、本多家上屋敷内に建てられた御対面所部分を移築したのがあそこに建っている松風閣金沢市指定文化財)なのだと教えて頂きました。

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松風閣

「この庭園は緑ばかりで、彩りがないものですから・・・」と、老人は謙遜していたが、高い樹々の葉に覆われ、視界一杯に緑の濃淡に「彩られた」世界は素晴らしいものでした。視界になにか白いものが動いたのでよく見ると、庭の奥に大きな鷺が悠然と歩いていきます(写真は撮り損ねました、残念)。「よく来るんですよ」と老人は微笑みます。

加賀本多家の初代政重(まさしげ)(1580-1647)は、徳川家康の側近本多正信の次男で、加賀藩3代藩主利常の時に士官し(1612)5万石を賜り、以来加賀藩の行政最高職を世襲する「八家(はっか)」の1家となり、本多家は要職を歴任していきます。

それまで、宇喜多秀家福島正則前田利長直江兼続と渡り歩いていますから何やら戦国時代の徳川家の諜報活動にも関わりがあったように感じますがそれはまた別の話。(士官のすぐ後に大阪冬の陣ですしね)

政重は大阪冬の陣(1614)に出陣し活躍、5万石加増をといわれますが、合わせて10万石ともなればちょっとした大名だろうと、さすがに辞退。その代わりに秀吉が「村雨の壺」と命名したとされる茶壺を賜ったといいます。

「小径を行った先に加賀本多博物館がありまして、そこに茶壺が展示してありますので、是非ご覧になっていって下さい」

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松風閣庭園

親切な説明に感謝して加賀本多博物館へと小路をたどりました。途中の中村記念美術館の脇を過ぎ、少し登りがあって博物館らしき建物のあたりをウロウロ。
近くの駐車場の案内をしている高齢の男性に、「ホンダのツボはどこ?」と、またもやぶしつけな問いに「あそこの建物です」と即答。さすが金沢。
訪れる人も少なかったからか、館長さん自ら色々解説してくれました。

大きな扇子状の日の丸を描いた2畳ほどもある馬印
「本物は痛むので別に保管してあって、これは複製です。実際これを本陣に立てたのです」
「本陣の場所が味方にわかるけど敵にもわかるから、敵兵も殺到するんですよね、だから影武者がいたりして」
などとおしゃべりしながら展示物を見て回りました。

政重が使った日本刀。
「本当はもっと長かったのを実戦で使い易く短くしたものです」
「刃こぼれしたから短くしたんじゃないんだ」
「他にもあるのですが、これは一番いいものです」
「本当に素人目にも美しい刀ですね、波紋が美しい」

乗馬するときの象牙の鐙(あぶみ)。
象牙は曲線部分を造るのはとても難しいのです」

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茶壺がありました。高さが40センチ、幅30センチ弱ほどの深緑が入ったこげ茶色の壺。これが5万石ねぇ。なぜか信長が戦功あった武将に与える領地がなくなって茶器を与えた話が思い出され、ふと微笑んでしまいました。

鎧兜、書簡などが展示してありますが、中でも大阪の役のときの詳細な軍の配置図が印象的でした。本多政重は、藩の軍事部門を担当していたのではと思いました。徳川家との関係や軍事を担った地位を考えれば、加賀藩に重きをなしたのも頷けます。

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鈴木大拙館周辺案内マップ

鈴木大拙館からの散策は、自然と歴史を身近に感じることのできる大変有意義なものとなりました。松風閣庭園のご老人、加賀本多博物館の館長さん、駐車場のおじさん、楽しいひと時をありがとうございました。