遥かなる「知」平線

歴史、科学、芸術、文学、社会一般に関するブログです。

バテレンと俊足トラオ

だから、ルキリウス君、・・・
すべての時間をしっかり掴んでおけ。
君が今日という日を手に握っていれば、
明日に依存することが少なくなる。
人生は先送りされてゆくあいだに、通り過ぎてしまうのだ。

正しい行為の報酬は、それを行ったということの中にある。

なぜそれができないか、君は知っているか?
「それが出来ると、自分を信じないからだ」
セネカ 「道徳についてのルキリウスへの手紙」より)
(注)セネカ(BC1-65) ローマ時代のストア派哲学者。
皇帝ネロの師。しかし最後はネロから自死を命じられる。

 

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節分は、「鬼はそと、福はうち」なのである。
そうやって日本人は、外(そと)と内(うち)の区別を、小さい頃から躾られている、・・・というわけでは勿論ない。

幼児の頃から、「ハイ、お外に行こうね」と靴を履かされ、「ただいま」と言って家に入る時には靴を脱がされる。そうやって、無意識のうちに「外(そと)」と「内(うち)」の区別は、幼稚園児でもちゃんとできるようになる。
それが「普通」であり「常識」というもの、・・・のはずであった。

高校に入り、一年担任の先生の名を「トラオ」といった。丸い眼鏡をかけて髭の濃い、小柄な地学の先生だったが、走るのが速かった。運動会では、教員チームも加わった倶楽部対抗リレーで、運動部の生徒を追いつめ、生徒たちからヤンヤの喝采を受けるほどだった。並の生徒より、ずっと速かったのだ。

二年時の担任の先生は、「バテレン」といった。鼻の下に口髭を蓄えた背の高い化学の先生で、信長時代のキリスト教宣教師をイメージして、そう呼んでいた。
「常識」は疑ってかからねばならないが、しかし15、16歳の子供たちはすぐに、無邪気な「無法者」になってしまう。

一年、二年と教室は一階にあった。
例えば、こうだ。

体育の授業が終わり、教室に戻ろうと、モンモは校庭側の窓を乗り越えて、校舎の廊下に「ヒラリ」と飛び降り、忍者さながらタッ、と廊下に片膝をついて着地した。
と、大人のスーツの足もとが目に入った。

ガビ~ン!! バテレンだった。
モンモを見降ろして、バテレンは「見たぞ~」とばかりにニヤッとしたのだ。
この無法者は、「微笑み返しの術」を放つや、冷や汗をかきつつ教室へ逃げて行った。ここは素直に、「すみません」だったろうに。ありがたいことにバテレンはなにも言わなかった。器(ウツワ)というものだ。

或いは、また、

当時は、土曜日も午前中の授業があった。4時限目が終わると生徒たちは無罪放免とばかりに、急いで家に帰る者もいる。
その生徒の名はイサワといった。イサワは、授業終了のチャイムが鳴るや、カバンをつかんで、窓からそのまま外に飛び降りたのだ。
モンモは暫し自習室にいたあと、帰ろうと自転車で校門へ向かっていたとき、保健室から一人の生徒が、片方の足首に大きな包帯を巻いて、松葉杖をついて出て来るのが見えた。窓から飛び降りて帰ったはずのイサワであった。

そして、

雨の日の放課後、外はまだ雨が残っていた。自転車なので、カッパを着て完全防備で校舎の出口へ向かっていたときのこと。
バスケットコートくらいの広さの集会場を、革靴を履いた生徒が猛烈なスピードで走
り抜けた。何事かと見ると、トラオが土足革靴の生徒を捕まえようと追いかけているのだった。

俊足トラオから、無謀にも逃げられると思ったのか。トラオも走りたかったのか。
生徒の運命を想いやる余裕はなく、思わず、自分の足もとを見やった。
モンモはカッパのフードを頭にかぶり、重いカバンを持ち、しっかり長靴を履いて校舎内を歩いていたのだから。

おには~そと、ふくは~うち


年がいもなく、今日は節分だ。