遥かなる「知」平線

歴史、科学、芸術、文学、社会一般に関するブログです。

自分を知るには、他人を知らねばならぬ

何日も何日も、自分のことばかり考えてすごしたら、
自分について、どんな新しい発見をするのかしら。
(A・クリスティ『春にして君を離れ』)

自分を知るには、自分自身を見つめてはならない。
(モンモ・カフェオーレ卿)

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人間の脳について、池谷祐二『単純な脳、複雑な「私」』朝日出版社)から、私がこの本のハイライトと思った部分をご紹介しましょう。

【第三者視点の獲得】
前に、脳の「角回」というところを刺激すると、幽体離脱を起こせることを書きました。それは、自分を外から見るという脳の機能なのです。
反省する時、自分を外側から客観視し、他人の視点から自分を眺めることが成長につながるということを意味します。幽体離脱の能力は、ヒトの社会性を生むのに必要な能力の一部だったのです。

もともと動物の脳には、「他者の存在」「他者の意図」をモニターする回路が組み込まれています。それが霊長類では、「マネ」をする能力に進化し、他者の行動を理解し、自分の行動に転写することができるようになったのですね。

【他人の眼差しの内面化】
人間は、自分を他人の視点に置き換えて自分を眺めることができます。鏡がなくても自分の視点を体外に置くことができる。その能力を自己修正に使っている(欠点を直す)。こうした「心」の構造は、長い進化の過程で脳回路に刻まれた能力の転用なのだそうです。

【ヒトは自分に「心」があることを知ってしまった】
脳は、自分の身体の動きを、あとづけで合理化したり、理由づけします。身体の動きがあって、脳の認識がある。常識的な考えとは逆のことが、様々な実験で示されます。

「自分の身体表現を通じて自分の内面を理解する(一旦脳から外に表現し、それを観察して心の内面を理解する)」という「心」の構造は、ひどく面倒な手続きに見えます。

しかし、ヒトは進化の過程で、
①動物たちは、「他者の存在」を意識できるようになり、
②他者の仕草や表情を観察することで、その行動の根拠や理由を推測するようになった。

(他者の心の理解)
③この「他者モニターシステム」を「自分」に対して使うようになった。
自分の仕草や表情を観察し、自分の行動の理由を推測するようになった。

他者から自己へ」という観察の投影先の転換があって、初めて自分に「心」があることに自分で気づくようになったのです。ヒトに「心」が生まれたのは、先祖の動物たちが「他者を観察できる」ようになり、そして「自分を観察できる」ようになったからだと言います。

だからヒトは今でも「身体表現を通じて自分を理解」するという手続きを踏んでいるのです。

脳の持ち主は自分だから、脳内で自身に直接アクセスすれば、もっとストレートに自分を理解できると思うのですが、「生物は先祖の生命機能を使い回すことで進化してきた」ので、ヒトにはその機能を「使い回す」ことしかなかった。

すでに存在しているすばらしい機能を転用して、似て非なる新能力を生み出す方がはるかに実現可能性が高く、効率的だった。

そうやってヒトは、「他者観察力」を使い回し、「自己観察力」を手にした。
自己観察して、自己理解に至るプロセスは、非効率だが、進化的に低コストだったのです。

「こうして僕らは、自分を知るために、一度外から自分を眺める必要が生じた。
これこそ「幽体離脱」なのです。しかし、それによって「心」が芽生えた。
もっと厳密に言えば、自分に「心があることを知ってしまった」のです。

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よく、自分のことを一番知っていると思っているのは、自分だと思っていますが、実は、「自分のことは自分が一番分かっていない」ということが多いように思います。
これも、上記の池谷さんの説明から納得できます。

つまり、「自分自身」や内なる世界についてよく知るようになるのは、他人や外の世界についてよく観察し、知るようになるからという説明は、ヒトの脳機能の進化をみれば合理的です。

日本人が、世界へ出て行って初めて、日本のことがよく分かるようになる、というのと同じですね。他人や外の世界を知って初めて、自分自身が自らの前に浮かび上がってくるでしょう。