頭は帽子を被るためにあるんじゃない
FTさんという人がいた。
もう引退されて、おそらく70歳半ばになっていると思う。
数年前にお会いした時は、織田信長の小説を書いていたり、赤いスポーツカーで、
高速道路をぶっ飛ばしているような過激な毎日を送っていると話されていた。
私の上司の上司にあたる人で、雲の上の人のような存在であった。
まだ、インターネットが世に現れてなかった時代、ホストコンピュータが、能力向上分を自らのオペレーティングシステム(OS)のために使ってしまい(自家消費)、利用ユーザに恩恵がないといって、工場のプロセス制御用のミニコンピュータを事務処理に使うべく、分散処理の先駆けとなるシステム構築を唱導した人であった。
開発が終了し、後で私の上司に、
「たまたまその時、能力があり、熱意に溢れた若者がいたからできた奇跡的なことだ」といったという。
設計者が、電話で仕事の邪魔をされると言って、主だったシステムの設計者にブースを与えた。
「設計書ができるまで出てくるな」
それでも、設計者にとって、自分のブースをもらえることは、一人前の設計者として認められた思いで、誇らしいことだった。
彼の自慢は、こうした小さなブースから、世界に先駆けた素晴らしいシステムが生まれたことだった。
普通のコピー機は用紙が無駄だといい、コピー機を減らして、安価な青焼きコピーをさせたり、空調機の電力を節約するように、事務室のガラス窓に内側からフィルターを貼らせたりした。
パソコンが出始めた頃、「同じ画面なのに、なぜTVが映らないんだ」といい、
「パソコンを何台も繋げて使えば、大きな能力を出せるのではないか」と実験をさせたり、成果が出せないで、「一生懸命やっています」という人には、「主観的勤勉、客観的怠惰」と言った。
システム文書はちゃんとメンテナンスできないことが多く、システム構造の把握が難しくなって、システム保守に労力がかかる問題に、ならば「プログラムのソースコード」からシステムが把握できる情報を創り出せと、無理難題を言った。
残業を部下にさせるなら、夕食を食べさせるのもリーダの役目だといって、夕食の手配をさせた。
システムトラブルで、ある企業のお客様にご迷惑をかけて、謝罪に部下を連れて行って、部屋で相手を待っていた時、「だいたいこうした業態の会社はけしからん」と部下に悪態をついていたのに、謝罪の相手が来たとたん、「このたびはまことに、申し訳ありませんでした」と土下座した。
トラブルの現場に乗り込み、怒鳴りまくるような、どこかの国のリーダと違って、現場を信頼し、部下に任せてくれた。本人は経営陣へ向かって情報発信に専念し、現場が働きやすいように行動してくれた。
あるシステム計画を、私の上司と部下と4人で、FTさんに説明したことがあった。
業界では、どこもやっていないような計画を、説明し、幾つかのやり取りをしている最中、彼は静かにいったものだ。
「なあモンモ、頭は帽子をかぶるためにあるんじゃあない」
上司を含めて4人とも、しばし視線を宙に漂わせて、
え~っと、一体何を言っているのかな・・・。
私はすぐにわかり、心の中でつぶやいた。
そうだよね、頭は「考えるために」あるんだよね、と。
私に向かってこんなことを言ったのは、FTさん、あなただけです。
最後にお会いした時、かの赤いスポーツカーで高速をぶっ飛ばし、
スピード違反で警察に捕まった、と言っていた。
車の窓を開けたら、警官は驚いたという。
こんな派手なスポーツカー飛ばしているのはどんな若者だ、説教してやる、と思ったら、なんと見かけは、優しそうな小柄なおじいちゃん。
私が知る、真のリーダであった。