遥かなる「知」平線

歴史、科学、芸術、文学、社会一般に関するブログです。

ユトリロ 酒と絵に溺れた人生

オレは狂ってなどいない。ただの酔っ払いだ。
(モーリス・ユトリロ

 

もう随分前になるが、友人とユトリロの展覧会を見に行ったことがある。
大きなモンマルトルの風景画コピーを一枚買ってきて、部屋の壁一杯に貼っていた。

そのモーリス・ユトリロ展が、去年やってきたのを再び見に行った。
ユトリロ単体で90点もの展示だった。

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ユトリロ サント=マリー教会、イル・ド・レ


ユトリロは、彼の母同様、父親を知らず、母親の愛情も十分に受けられず育った。
学校になじめず、8歳で精神薄弱と診断され、満足な教育を受けられなかった。
不良ぶりが目立って中学も退学し、17歳でアル中に、そして狼藉者になった。
20歳で精神病院に初めて入った。

その頃から彼は、独学で絵を学び、26歳ころから展覧会にも絵を出品するようになる。しかし、母はポール・ジムスとの離婚話が出て、経済的に困窮し、アルコール中毒も度を越していく。酒と絵が彼の人生になる。

彼の絵は29歳の頃から売れ始める。再婚した親が、このモーリスの利益に目をつけるようになる。アル中のため、監獄まがいの鉄格子のついた精神病院に何度も入れられて過ごす。飲み代の代わりに絵を描いたのか、カンヴァス以外に、厚紙にも油絵をたくさん描いている。

貧しさ故に母親に絵を描かされ、後に画商にも金ズルとして監禁されるようにして絵を描かされる。多産であった理由はそんなところにもあったのか。

ほとんど全部が風景画。モンマルトルを多く描いた。監禁場所から見える風景が、絵となったのか。

「オレは狂ってなどいない。ただの酔っ払いだ。」

酒と絵に溺れたような人生。貧しい母子家庭に育ち、絵を描かされることを強制されたようにも見える人生。そしてすばらしい「作品」を後世に残した人生。

いったい彼の人生は、幸せだったのか、不幸だったのか。
もはや、彼の人生は、記録でしか追うことはできないが、真実は不明だ。

ともあれ確実なことは、他の芸術家と同じく、死して尚、ユトリロの作品が後世に残っている、ということである。