3.11 津波との競争
きみがこの先の人生を切り抜けていきたいと思うなら、
死んだ者をあきらめることを学ばなければならない。
J・ディーヴァ― 『ボーン・コレクター』 文春文庫
3月11日の午後、宮城県名取市。
これは、東北地方を襲った津波から逃げた、友人の家族の話である。
地震のとき、リフォームしたばかりの自宅には妻と息子がいた。妻は天ぷらを揚げていたので、油がこぼれ火が出た。自分では消せないと判断すると、慌てて息子に声をかけ、外に飛び出し携帯で119番をかけた。しかし、もう携帯は通じない。
道路は既に渋滞となり、「津波が来るから逃げろ」の声に、「先に逃げてて、すぐ行くから」と言った息子を心配しながら、逃げるしかなかった。
ラグビーをしていた息子は、体力には自信があった。今春、エネルギー業界の会社に入社が決まっていた。逃げる前に、印鑑や通帳など、大事なものをリュックに押し込んでいた。
近くの道路から、大声で叫ぶ声が聞こえる。
「早く逃げろー!」
道路に出ると、母は既にいなかった。
狭い道路は渋滞で、車は動かない。とっさに自転車に飛び乗り、車の間をぬって走り始めた。しかし大勢の人が、じゃまで思うように走れない。
くぐもった音が、遠くから次第に近づいてくるように感じられた。家屋と思われる大きな物体がこすれ、ぶつかり、きしむ音の気配が、ゴーという腹に響く重低音の中に聞こえるような気がした。
前方右から、黒い泥が瓦礫を載せて、低く地を這ってくるのが目に入った。
ラグビーで鍛えた体が勝手に反応し、自転車を左の脇道へ入れた。
そしてすぐ後悔した。行き止まりだ。
しかし、右へは曲がれない。左は、道がない。
真っすぐ行くしかない。ダメだ、行き止まりだ。
自転車を捨て、左の家に飛び込んだ。
玄関の脇の、リビングと思しきサッシの窓ガラスに、手袋をしたこぶしをたたきつけた。割れない、二、三度繰り返しても、手が痛くなるだけだった。
そばに落ちている、庭の手ごろな石を手にしてもう一度ガラスを割ろうとした。
少しヒビが入ったが、割れない。
ものが壊れる音がして、左後方を見やった。
真っ黒な泥の壁が逆巻いて、迫って来るのが、家々の屋根越しに目に入った。
思わず出てきた涙に、視界を遮られながら、石でガラスを割った。いける、あとは足で、ガラスを蹴破りながら、夢中でその家の中を通り抜け、勝手口から家の裏に抜けだした。塀を越えて、路地を走った。
背後に津波が迫ってくる。途中、家の庭先に置いてあった他人の自転車に乗って走った。
何人かが、自分の後ろを走っている。次第に、泥水が低く足元を濡らし始めた。
ペダルが重くなり、その自転車も捨てて走った。膝までの水かさになった。
それでも、ラグビーで鍛えた足は、ありがたいことに動き続けた。
坂になり高台の避難所へ向かうが、次第に泥を含んだ水が、太もものあたりにまでなった。もう少し、しかし胸まで水が来ている。どこかに捕まって高いところに上がらねば、もうすぐ・・・・。
やっと、水から這い上がって高台に逃げた。振り返ると、自分の後ろを走って逃げていた何人かが、そのまま津波に飲み込まれていった。
18歳になる娘は、買ってもらった真新しい自転車で、近くに買い物に行っていて、地震のあと家に戻る途中だった。地面より数メートル高くなっている高速道路の下まで来た時、上から近所のおじさんが、自分の名を呼んでいた。
「葵ちゃん、何をしている、早くあがれ!津波だ!」
自転車を放り出し、高速道路の階段を上った。
津波が迫っていて、しばらくすると、黒い波が高速道路の下を通り抜けた。
他の人たち20~30人と、寒い一夜を明かした翌朝、避難所へ連れていかれた。
娘が避難所にいないと知った家族は、ダメかも知れないと、涙を流したが、50時間後、別の避難所に娘の名前を見つけ、再会することができた。
リフォームしたばかりの家、家財、車2台、全て失ったが、奇跡的に家族は全員無事だった。
家のあった地区の生存率は40%、両隣の家の隣人は皆助からなかった。
その町は、原爆を落とされたかのように、瓦礫の平地となったのである。
しかし、家族を、友人を、亡くした者にとって、生涯「あきらめること」などできはしない。