遥かなる「知」平線

歴史、科学、芸術、文学、社会一般に関するブログです。

子供の時間

生涯のある時期における時間の心理的な長さは、
その人がその時まで生きてきた年数の長さの逆数に比例する。
ジャネの法則;ピエール・ジャネ 心理学者 仏)

時間は幸せなときしか流れない。
古代ローマ箴言

時間というものは存在しないように見える。
パルメニデス古代ギリシャの哲学者)
理性でとらえられる「在るもののみ」が哲学の対象だとした。エレア学派を確立。

「流れゆく時間」は存在しない。・・
人間が時間と感じているものは、
無数の瞬間が重なった幻影でしかない。
(ジュリアン・バーバー;現代の理論物理学者 英)
矢沢潔、新海裕美子、ハインツ・ホライス 『次元とはなにか』 ソフトバンク クリエイティブ 2011年

 

f:id:monmocafe:20190509194153j:plain


朝、家を出たらちょっと強めの雨になって、道路を横断して歩いていた傍らで、
黄色いカッパを着せられた小さな子供を乳母車に乗せた母親が、
立ち止まって傘をさしていた。

子供と何気ない会話をしていた母子を追い抜いて駅へ向かう。
何でもないほんの一瞬の光景で、「子供の時間」という言葉が浮かんだ。

 

大人の時間は、朝から忙しい。
仕事へ、家の用事へと、生活は時間に区切られている。
歳をとればとるほど、時間感覚は加速度を増していく。

客観的時間は、加速度のついた主観的時間となり、
もはや「捕捉」できない時間から追われる身となる。

思えば子供には、「時間」はなかったのではないか。
朝目覚め、お腹が空いたら食べ、眠たくなったら眠り、
そして暗くなるまで遊んでいる。

時間で生きる大人の回りで生活しているうちに、自然に時間を獲得していく。
とすれば、そのゆっくりとした時間の獲得には、媒介者が必要なのではないか。

いま子供たちは、ムキだしの「時間」に晒されている。
少し前の日本、専業主婦、おじいちゃん・おばあちゃんが、
時間の媒介者だったのに、共稼ぎや核家族でそれも難しくなっている。

子供たちにも、世相は強く影響を及ぼす。
しかし、昔も今も子供には、「子供の時間」が必要なのではないか。