うるわしき上司愛
サラリーマンは、その会社人生で多くの上司に出会います。
これは、ごく普通の部長サンが上司の時の話しです。
会社の仕事をするのに、マネージャ(課長クラス)は、人・物・金(予算)を確保しなくてはなりません。とりわけ、予算を確保をするのに一苦労するのが普通です。
そのためには先ず、「申請書」なるものを書いて、「これをやりたい、金を出せ」という本音を、ビジネス文書とやらの体裁と表現に包んで部長に申請するのです。
主旨と目的。そのための手段。それにかかる費用や効果。そして見積をつけて提出するのです。
提出されるほう(部長)は、できれば「金」は出したくないと思っているわけですから、厳しくチェックします。それは、仕事ですから立場上も当然で、そこに部長とマネージャのバトルが繰り広げられるのです。
こう書けば、こう言われる。ああ言われたら、こう答えればいい。
などと、ああでもない、こうでもないと、仮想敵(部長)を想定して、想定問答を行うのです。そうして、練り上げた申請書をもって、部長印をもらいに行く。
これで拒否してみろ、拒否してこの仕事が出来なかったら、お前の責任だ、とあからさまに、そう書きはしないが、言外に、そう思わせる書き方をして。
時には、申請書の文章の中に、小さな問題をわざと作っておく。
対策済の罠、トラップ。
真の論点をカモフラージュするために、敢えて別の簡単な論点を突いてもらうような仕掛け。説明もそこに誘導する。それはモンモの罠なのだ。
部長がそこを指摘してきたら、「さすが部長、そこが問題なんです」と、ほめたたえつつ、その補足説明を行って、安心してもらう。
ね?大丈夫でしょう?だから印を押しましょう、ね?
部長印さえもらえば、こっちのものなのだ。
問題点を指摘できたという自尊心を満足させ、且つ、その問題にはちゃんと対策が立てられていることで安堵してもらう。更にエネルギーを費やして、他の問題を探り出そうとまでは、なかなかできるものではない。
こちらは現場を抑えているプロなのだ。人呼んで、「論点ずらし」の技。
或いは、表面上の記述からは、全く見えない「真の意図」がある場合だってある。
しかし、表面上の「建前の」論理がゆるぎないなら、「真の意図」など見えなくたっていいのだ。
そう、あなたは知らなくていい。ウソは言ってない。
しかし、敵もさるもの。押印はしたものの、何か釈然としない。
あやしい、あやしい、モンモはあやしい。しかし、しっぽはつかめない。
その「あやしい」が、部長の心に蓄積し、何かの時に因縁がつく。
「モンモ、だいたいお前は、何も報告しないではないか。いったい、どうなっているんだ」
「はい、知らないほうがいいですよ。本当に知りたいですか…。」
不敵にニヤッと笑って見せる。
「…・」
知ってしまったら、お前の責任になるぞ。それでいいのか。
モンモが責任をとってやる、だからあなたは、知らないほうがいい。
おお、なんと麗しき上司愛。
だから、部長の心はどんどん屈折していく。
今日も、申請書を持って、部長席へ近づいていく。
・・・と、まだ三歩の距離があるのに、モンモの気配で部長は叫ぶ。
「ダメだ、ダメだ!!」
えっ? まだ何も言ってないし、
いいからいいから、と、優しく微笑んですり寄っていくのだ。
そう、黙ってこの「申請書」に印を押せばいい。悪いようにはしないから。