遥かなる「知」平線

歴史、科学、芸術、文学、社会一般に関するブログです。

基督降誕祭(クリスマス)前後

いつも満天の星とは限らない
厚い雲に覆われた地上に光は弱く
都会を淡く映し出している

 

北風は冷たく頬を叩き
時おり、小さな雪片を遠くから運んでくる

そんな空の下でも、日本のクリスマスは賑やかだ


キリストとは無縁な人々に、

恋人たちに、そして子供たちにも
楽しい一日をと願う


常ならぬものは幸福だからこそ
幸せなひとときであれ
その日、その一瞬を抱きしめて

 

平原綾香 Ave Maria - YouTube

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ユトリロ 『雪の通り』 1923年

 

そして「静寂」もまた、忘れられない大切なものを、私たちに贈ってくれる。

辻邦生が、かつてパリの下町のレストランで雑誌に見つけた、その当時新進女流作家であったクリスチーヌ・ド・リヴォワールの一文がある。

 

私には、クリスマスといえば静寂しか思いだせません。

 私は聖心女学院の幼い寄宿生でした。
聖心女学院の先生がたは、とても詩的な方ばかりで、
毎年、25日まで9日間の静修(注)を私たちに課されるのが習慣なのでした。

 その後、何年かたちました。
けれどもクリスマスの思い出のなかで、
もっとも印象に残っているのは、
この寄宿学校のなかの静寂なのです。

九日間というもの、それは死んだような静けさでした。

小さな女の子たちの黙りこくった行列が、
聖母マリアの像の前を進んでゆきました。

聖母の足もとには二つの籠が置いてありました。
右の籠はからっぽでした。
左の籠はジャガイモでいっぱいでした。

小さな女の子たちは一人一人左の籠からジャガイモをとり、
右の籠に入れるのです。

それは沈黙を守りとおした子だけがやれることなのでした。

 

そして静修の終る九日目に、
このジャガイモは全部貧乏な子供たちに与えられるのでした。

 つまり私たちの九日間の沈黙は、
こうしてこの貧乏な子供たちに与えるジャガイモに変形していったわけですが、
この沈黙が、幼い私の心を深く動かしたのです。

そのとき私は自分に向ってこう言ったものでした。

 ≪もしクリスチーヌ、
あんたが一言でも喋ったらどこかの子が、
あんたの不謹慎な行いのために、
ジャガイモをもらえないで飢えに苦しむのよ≫

 私はその当時八歳でした。
そして私は責任感というものを、そのとき、発見したのです。

 私は賑やかな歌にみちた多くのクリスマスを忘れました。
でも、この沈黙のクリスマスだけは決して忘れることはありますまい

 (注)静修(Uneneuvaine de silence);「沈黙の行(修行)」(モンモ注)

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ユトリロ 『雪のサン=ピエール広場とサクレ=クール寺院、モンマルトル』 1948年

 

そして、辻邦生はこの一文を紹介して、こうした「精神主義」こそ、戦後私たちは忘れていたのではなかったのかと問い、エッセイの最後に、次のように書いている。

 「思想、あるいは哲学とはあの小さなクリスチーヌが、
沈黙の苦しい勤めのなかで感じとっていった「責任感」と同じく、
ある長い、苦しい行為を通して、
刻々にきざみだされてゆくものである。

 自ら模索し、渇望し、おののき、打ちひしがれ、
また立ち直って求めつづけた揚句に、
手に入れるただ一滴の水のようなものである。

 自分との決定的な戦いなくして、
真の思想など、生れるはずはない。・・・

 クリスマスが近づき、街に冷たい冬の風が吹くようになると、
私は、いつも北国の沈黙した都会のことを考える。
そしてそこで生れたさまざまな思想や音楽のことを考える。

 『だが、それは遠い異国のことであってはならぬ・・・
それはまさに私たち自身の精神の空間のことでなければならぬ。
少なくともそうするように、
歯をくいしばっても努めねばならぬ』

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ユトリロ 『雪の通り、モンマルトル』 1936年

 

今年のクリスマスは、ホワイトクリスマスになりそうだ。

白い雪に覆われた風景は、ときとして神々しいばかりの「静寂」そのものである。

訪問していただいた皆さんに、幸多かれと、メリークリスマス。

 【出典】辻邦生 『海辺の墓地から』「基督降誕祭(クリスマス)前後」より