窓枠の風景画
そこには「悲しみ」もあれば「よろこび」もあり
「孤独」もあれば「不運」もある。
・・・むなしい時の流れにひたされながら強大で、
残酷でいてやさしい人生。
(辻邦生 『モンマルトル日記』集英社 1974年)
モーリス・ユトリロ 『クレイエット城』 1932
朝、前日の雨が過ぎた秋の空は、少しばかりの雲塊を流しながら晴れ渡っていた。
イベントが始まるまでの暫しの時間、テレビを消してホテルの大きな窓の外の風景を眺めていた。
窓に区切られた大きな絵、都会に立ち並ぶ高層ビルが、朝の光に輝いていた。
木々の緑に囲まれた奥まった丘のこのホテルには、朝の通勤のざわめきも、分単位でホームに滑り込む電車の音も、車の騒音すら届かない。
部屋には音のない時間だけが静かに流れ、朝の色鮮やかな「風景画」が、ただ目の前にあった。
「忙しい」という字は、「心を亡ぼす」と書く。
「忙しい」と感じる時、よく「心は亡んでいるか」と自らに問う。
そして「疲れる」と、お前は「考えているか」、「創造しているか」と問いかける。
ああ、今日も働いた、疲れた後の心地よい一杯のビールを飲み干し、また同じような日々を追いかける、長くそうした生活とは無縁だった。
が、「でも・・・」と思う。同じようなものではないかと。
いったい何を考え、創造してきたというのだ?
人々が直面する時代のフロンティアを、理解し、認識したとでもいうのか?
忙しさに心を病み、仕事のない若者が漂流し、千年に一度の災害に日々の生活を、家族を、その地域の産業基盤を流された多くの人々がいる。
放射能に住む土地を追われ、風評被害を被り、津波で家族を失いながら「天を恨まず」と自らの運命を引受ける若者がいる。
しかし、時間が経って、テレビも次なる事件を追いはじめると、人々も留まってはいない。いつまでも喪失を抱えてばかりいては、人生は始まらないのだ。
たとえ辛くても「悲しみ」と「幸せな思い出」を心の中に織り込んで、前を向いて歩いていかなくてはならないのだ。
そうやって忙しさの中に封印し、仕舞い込んだ「想い」に、人はどう向き合うのだろう。向き合うことを恐れ、しかし重たく抱えたままでは、何も解決しない。
きっとずっと解決などしないのかも知れない。
それは寧ろ、過酷な人生を生きるために、なくてはならないものなのだろう。
これからの人生を生きるために、自らが依って立つ「決意」を、その「悲しみ」と「幸せな思い出」は与えてくれるにちがいない。
大切なのは、こうした想念を思い巡らす静寂なのではないか。
・・・そのようにして、この朝の「大きな風景画」を心に写し込んだ。
さあ、時間だ。
この時間の先に、新しい自分を見つけにいこう。