遥かなる「知」平線

歴史、科学、芸術、文学、社会一般に関するブログです。

戦後70年、ゆく夏に想う

かつて起こったことへの責任は若い人たちにはない。
しかし、歴史上の出来事から生じてきたことに対しては責任がある。
ヴァイツゼッカー元ドイツ大統領;1985.5.8「荒れ野の40年」西ドイツ国会演説)

勝つために、あるいは勝利のあとに用いた手段が、
正当であったか否かは、
戦勝国も自らと世界に対して釈明する責務がある。
勝者にとって最大の道徳的誘惑は、自己の正当化だ。
ヴァイツゼッカー元ドイツ大統領;1995.8.7 東京での演説)

政治家たちが、かつての敵をけなして
安っぽい拍手を浴びるのは難しいことではない。
(2015.2米シャーマン国務次官)


お盆が過ぎ、甲子園の高校野球が終ると、猛暑が嘘のような日が続くようになりました。いよいよ夏の終りを感じさせます。

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2015年 甲子園高校野球決勝 東海大相模10-6仙台育英

 

8月はどうしても、戦争についての報道が多くなります。
戦争秘話、終戦秘話、・・、戦争を体験した人々が年老いて語りだす話も少なくありません。戦争を知らない人々が8割になるといいます。
そう、戦争は既に私たちの日常とはかけ離れた歴史の一部になっているのです。

戦後70年談話を安倍首相が出しました。
もとより、すべての人が満足する談話など期待できようはずもありません。
安倍首相本人にとってもです。
談話にはたくさんの声が寄せられました。
「直接のお詫びをしていないので誠意が感じられない」
「私たちの多くは、あの戦争に責任がない。なのになぜいつまでも詫びねばならないのか」
「焦点がぼやけて、何を言いたいのかわからない」

それでも、村山談話に比べれば、はるかに立派な談話だとモンモは思います。苦心のあとがうかがえて、中国も韓国も「何か言いたくても言えない」談話に、思わずニヤッとした人も多かったでしょう。

習近平の戦勝パレードでの演説と比べてみるのもいいでしょう。安倍談話は、一種の政治的圧力になっているかも知れません。世界は「中国の夢」「南シナ海は我が領海」「中国は戦勝国」という言葉と安倍談話を比べることになるでしょう。

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東京裁判の正当性に多くの疑問があるとしても、責任者たちは処罰されました。日本はその結果を受け入れ、国際的に責任をとって戦後をスタートさせました。

日韓基本条約慰安婦の賠償問題は解決したはずでした。日本側が慰安婦へ直接賠償を申し出たのを韓国側が断り、賠償金を一括で朴正煕政権へ支払ったのです。この賠償金を慰安婦へ支払わなかったのは韓国の国内問題にほかなりません。
それを「歴史認識」問題にすり替えてしまった。そのことを自覚しているから、きっと韓国の本音は、日本に何とかしてもらいたいのではないでしょうか。これを外交交渉に使うこともできるでしょう。

それに当時韓国は日本の植民地でしたから、韓国人は日本国籍で、戦時徴用は強制労働とはならないのです。徴用工補償問題も、長い間の反日教育がこうした論理を受け入れ難くしているとしか思えません。

先の戦争で、日本はアメリカに負けましたが、中国に負けたとは誰も思っていません(中国にとっても日本にとってもこれが一番の問題かも知れません)。それでも、軍部が中国の地を侵略したのは事実ですし、中国戦線を含めて日本はポツダム宣言を受諾し、賠償金代わりに多額の円借款を供与して日中国交回復を果たしたのです。

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しかし、それで終わりにしたくない人々がいたということです。
かつて中曽根元首相靖国参拝に抗議した中国は、歴史認識問題が外交カードになることを学んだのです。「中国は戦勝国」を強く自分に、国内に言い聞かせなければ、自らの政権の正統性を国内的に維持できないのでしょう。

「中国の夢」などと聞くと、思わずこうアドバイスしたくなります。
やめた方がいいですよ。日本は大東亜共栄圏でろくな目にあいませんでしたからね。あなたたちを見ているとかつての日本を見ているようで仕方ありません」

日ソ不可侵条約を一方的に破って、ポツダム宣言受諾後も北方領土を火事場泥棒的に侵略したロシアを盟友にして、何のために軍事強国をアピールする必要があるのでしょう。自らも、そしてロシアも既にファシズム国家に成り果ててしまったことにも気が付いていないのでしょう。

中国とロシア、新しい枢軸国の形成だというのに、韓国はアメリカと中国の間でウロウロしています。自分たちを巡る国際情勢が見えていないのだなあと同情します。反日が民族のアイデンティティなんて、なんて寂しい国是でしょう。

もともと歴史認識など違っていて当たり前なのです。大切なのは歴史的事実のほうです。政治的意図に沿う事実を探すのではなく、事実と思われる事柄を科学的態度で見つめ、そこから認識を創り出していくのです。それが歴史に謙虚に向き合うということです。そろそろこのことに気付くときなのではないでしょうか。

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憲法原案の作成にはじまり、財閥解体、民主教育、農地解放、・・現在の日本はアメリカが作った国といっても過言ではありません。アメリカは自分たちが作った憲法を盾にされ、国際紛争への自衛隊参加を日本に断られてきました。日本を戦争のできない国にするというアメリカの目的は見事に達成されたのです。

新安保法制でようやくアメリカは日本の自衛隊を使えると思っているでしょう。
8月20日アメリカ国防総省は「アジア太平洋・海洋安全保障戦略」を公表しています。その中でこう日本を位置づけています。
日本は米軍の前方展開の礎石であり続ける

しかし、今回の新安保法制は、公明党によって「骨抜き」にされてしまいました。外務省の役人が嘆くように「自由に動けない」、「縛られている」のです。日本は、今後この「骨抜き」安保法制とアメリカの要求の間で悩みを深くしていくでしょう。その時が、憲法9条改正の話が具体的に出てくるときです。現在の憲法ではアメリカの要請に応えられない、中国の海洋進出の歯止めにならない、と。

「戦争法案反対」「徴兵制反対」、どこかピントのずれたフレーズは、別の国の人々
の声に聞こえて仕方ありません。日本が、いつの間にか「東洋のイスラエル」になっているようなら、少しは日本のインテリジェンスも向上したといえるかも知れませんが、そんな知恵を今の政治家に求めることは無理なのでしょうね。

戦後70年、皆さんはどんな感想を持たれたでしょうか。