遥かなる「知」平線

歴史、科学、芸術、文学、社会一般に関するブログです。

2014年ノーベル物理学賞

私は伝えたい。
夕方になるとカエルが鳴くような日本の田舎で、
ため息をついて空を見上げている君も、
目標を世界水準にせよ、と。
中村修二;カルフォルニア大学サンタバーバラ校教授)


2014年のノーベル物理学賞は、青色発光ダイオード(LED)を開発した赤崎勇教授(名城大学)、天野浩教授(名古屋大学)、中村修二教授(カリフォルニア大学サンタバーバラ校)の3氏に贈られることになった。

 

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赤崎氏、天野氏の二人はテーマ、原理、アイディアに関する基礎研究、中村氏は実用化に関する応用研究と青色LEDに関する研究分野を日本人が独占した形になった。
光の三原色には赤、緑、青があり、これらを組み合わせることで様々な色を出すことができる。発光ダイオードに関するエポックメーキング的な歴史は以下の通り。

1962年 赤色発光ダイオードの発明(ホロニャック)
1960年~70年代 高輝度赤色/緑色ダイオードの発明(西澤潤一
1972年 黄色発光ダイオードの発明(クラフォード)
1989年 窒化ガリウムによる高輝度青色発光ダイオード(赤崎勇、天野浩)
1993年 青色発光ダイオードの量産実用化(中村修二

20世紀中に青色LEDはできないといわれていた。
1990年に中村氏が発明した窒化ガリウムの結晶生成法「ツーフロー方式」によって製品化に目途がつき、1993年に青色LEDの量産化が実現した。
三原色の最後のピースができたのだ。

中村修二教授の日亜化学工業時代の開発物語は有名だが、創業者である小川信雄氏のベンチャー魂に支えられたものだった。2代目社長になって以降の開発は精神的にも困難を極めたようだ。

「会社の無駄メシ食い」「会社の業績が悪いのはお前のせいだ」とも言われ、会社の言う通りに仕事をしてこんなことを言われるくらいなら、好きなようにやって辞めてやる、と孤軍奮闘した。会議には出ない、電話にも出ない、研究を中止しろとまで言われた。

会社に多大な貢献をしながら得た報奨金は2万円、退職金もなく1999年に退職し、アメリカへ渡った。ライバル企業のコンサルタントをしていたこともあり「情報漏えい」で告訴されもした。

海外の研究者からは、あまりの処遇の低さから「お前は会社の奴隷か」といわれ「スレイヴ中村」と呼ばれた。

2001年8月に会社を相手取り、発明の対価200億円の支払を求めて訴訟を起こし、東京地裁判決では、特許は会社のものとされたが、発明の対価は会社の利益の50%に相当する604億円とされ200億全額の支払いを会社に命ずる判決が出された。

2004年の控訴審では、不本意ながらも8億4391万円の和解案を受け入れた。この裁判で会社側は、そもそも中村氏の発明特許(ツーフロー方式)は、青色LEDの製造への貢献はゼロだ、中村氏一人で開発したのではなく他の社員の多くの貢献があったと主張し、その主張が認められたと記者会見した。

この裁判で経済界は、巨額の対価を社員に支払うのなら大規模な開発はできなくなる、とマスコミを通じて世間にメッセージを送り続けた。それが功を奏したのだろう。

しかし、中村氏の発明がなかったら青色LEDは商品化されなかったし、ツーフロー方式に替わる方式も開発されなかっただろう。ゼロから「有」を生むことと、「有」を改善することとは全く次元が異なることを日亜化学工業は知らなかったとしか思えない。

 

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2014年10月8日皆既月食葛飾区郷土と天文の博物館)

 

スウェーデン王立科学アカデミーが中村氏にノーベル賞を贈るのは、世の中に青色LEDを製品として生み出す技術を初めて実用化したからに他ならない。
世界で初めてゼロから「有」を生んだことに対して贈られるのだ。
中村氏の業績がやっと報われ、モンモもとても嬉しい。

和解を勧告した高裁の裁判官や、中村氏の発明特許の貢献度をゼロだとした日亜化学工業はどんな気持ちで中村氏のノーベル賞の報を聞いただろうか。

中村氏は、日本の研究環境についてこう言っている。
米国には研究者にとって自由がある。日本には、米国のような本物のの自由がない。企業が大きな事業をやっていても、社員は平均的なサラリーマンだ。米国では自分で会社を起こせるし、何でも好きなようにやれる

創造者にとって重要な研究環境とは、「自由」なのではないか。
京都大学名古屋大学の自由な研究風土は昔から言われているが、企業における研究環境もどれだけ研究者の自由を確保するかが大切なのではないか。もちろん採算性は企業にとって大事だが、マネージメントと称して研究者を管理するのは彼らの創造性を削ぐことになる。
経営者はこうした組織と個人のありようをもっと考えるべきと思うがどうだろう。