ダ・ヴィンチの建築素描
レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯 (15)
我々の人生は、我々の思考によってつくり出される。
我々の思考が現在をもたらし、未来を決める。
(パスカル)
ひらめきは、何も無いところからは生まれない。
(白川英樹;伝導プラスチックの発明で2000年ノーベル化学賞)
私は伝えたい。
夕方になるとカエルが鳴くような日本の田舎で、
ため息をついて空を見上げている君も、
目標を世界水準にせよ、と。
(中村修二;カルフォルニア大学サンタバーバラ校教授)
(注)青色発光ダイオードの発明者。
徳島県の日亜化学工業時代、孤立無援の中で20世紀には不可能とされた発明を行った。
(ミラノ大聖堂)
ミラノ大聖堂は、1386年に建築が始まり19世紀になって完成したが、1487年、ミラノ大聖堂の新しいドーム設計案の公募があった。
ダ・ヴィンチ、そして建築家で親友のブラマンテもこれに応募した。
ダ・ヴィンチは、フィレンツェのドームに似た案を応募し、プレゼンテーションの草稿も残されている。
「大聖堂は、建物の性質に通じ、正しい構造の基礎となる諸原理を理解している医師=建築家を必要としている・・・」
(ミラノ大聖堂に関する素描 アトランティコ手稿 ミラノ、アンブロジアーナ図書館)
結局、ダ・ヴィンチ案は採用されず、1490年6月にアマデオとドルチェボーノの案に決まった。
聖堂や城建築の素描をダ・ヴィンチは多数描いている。
以下に、少しご紹介しましょう。
(聖堂建築に関する素描 アシュバーナム手稿Ⅱ パリ、フランス学士院図書館)
(聖堂建築の素描 パリ手稿B パリ、フランス学士院図書館)
(城建築の素描 パリ手稿B パリ、フランス学士院)
(城建築の素描 パリ手稿B パリ、フランス学士院)
(霊廟のプロジェクト パリ、ルーヴル美術館)
素描は多く残っているが、これを基に実際に建築されたものはない。建築家、あるいは軍事技術者としての活躍の場を得たいという、ミラノ宮廷に対するアピールであったのかも知れない。
フィレンツェやブルネレスキの影響を受けているとはいえ、素描にあるような聖堂が彼の都市計画と共に実際に建てられていたらと想像すると、ミラノの都市景観も随分と変わっていただろうと思う。
フィレンツェの建築もそうなのだが、ダ・ヴィンチの素描のような建築が立ち並ぶ景観は、現在でも未来都市を思わせるものだろう。建築家というより、都市や建築物のデザインに、むしろ独創性を感じさせるので、都市・建築デザイナーと言った方が相応しい。
1480年代後半には、都市の、あるいは重要な建築物を任せられるだけの強い基盤を、いまだミラノ宮廷に持ってはいなかったということである。
或いは、ダ・ヴィンチを一介の画家と見ているルドヴィーコの文化的水準が、ダ・ヴィンチのそれとあまりにかけ離れていたというべきか。
(つづく)