遥かなる「知」平線

歴史、科学、芸術、文学、社会一般に関するブログです。

ダ・ヴィンチ アトランティコ手稿

この世界には二種類の人間がいる。
疑問をもち答を得ようとする者と、
答は与えられるものだと思っている者。・・

わたしは疑問をもつ者だ。
あらゆることに疑問を投げかける。・・・
問いかけることは生きている証だ。

手垢にまみれた答をそのまま受け入れ、
『なぜ?』と問うことができなければ、死んだもおなじ。
おまえは問いかけたいだろう、ちがうか、・・

(注)ジョン・ダドリーの息子ロバート・ダドリーの師ジョン・ディー

物事を疑い問いはじめた世界の真ん中で、
わたしは生きている。
なによりも大事なのは問いかけることだと、
男も女も考えている時代に、わたしは生きている。
(注)メアリー、エリザベスに仕えた道化ハンナ。
(P・グレゴリー 『愛憎の王冠』 集英社文庫


東京都美術館で、ダ・ヴィンチ展が開催されている。今回は、ダ・ヴィンチが描いた唯一の男性肖像画とされている『楽家の肖像』が来日しているが、目玉は『アトランティコ手稿』だろう。

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ダ・ヴィンチと弟子『頭部の素描、作品リスト、アタランテ・ミリオロッティの肖像に関する言及』
アトランティコ手稿 1482-83年頃

その一つを、前にいたオバサン二人が、じっと見入っていた。暫くして、「ひょっとして文字が逆じゃない?」「わかんな~い」とキャピキャピ言い合っていたので、思わず「ええ、鏡文字と言って、ダ・ヴィンチは右から左に逆に書いたんです」と言いそうになった。

アンブロジアーナ図書館所蔵の『アトランティコ手稿』は、1118枚の紙葉で、44×65㎝のアトラス版型の紙に貼ったことから『アトランティコ手稿』と呼ばれるようになった。

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(上)ダ・ヴィンチ『複数の弩を装備した歯車の素描』 アトランティコ手稿 1485-87年頃
(下)ダ・ヴィンチ『影の理論の習作』 アトランティコ手稿 1490年頃

先ずはダ・ヴィンチ手稿の変遷を簡単にご紹介しましょう。

ダ・ヴィンチが1478年頃から彼が死ぬ1519年まで、書き続けた膨大な素描やメモ(『手稿』)は、弟子のフランチェスコ・メルッィに残された。メルッィは故郷ミラノ郊外のダッタ村に戻り、これを守ったが、彼の死後『手稿』は散逸する。

1590年彫刻家ポンぺオ・レオ-二が、残された『手稿』を集め、それらは50冊前後になったとされている。レオ-二はマドリッドへ持って行き、スペイン国王に売ろうとしたが果たせず、一部を残してミラノへ持ち込んだ。マドリッドに残された手稿が『マドリッド手稿』(マドリッド国立図書館)と呼ばれる。

また1630年アランデル卿トーマス・ハワードがスペインで購入し英国へ持ち込んだのが『解剖手稿』『ウィンザー手稿』(英王室)『アランデル手稿』(大英博物館)である。

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ダ・ヴィンチ『飛行装置の翼の接合部』 アトランティコ手稿 1490-95年頃

レオーネによってミラノへ持ち込まれた手稿はその後、ガレアッツォ・アルコナーティ伯爵の手に渡り、1637年アンブロジアーナ図書館に寄贈された。それが『アトランティコ手稿』と他の手稿である。

ミラノ・スフォルツァ城所蔵の『トリヴルツィオ手稿』は、ガレアっツァの手を経て1750年頃にトリヴルツィオ図書館に入った。

アンブロジアーナ図書館の手稿は、1796年5月にミラノを支配したナポレオンによってフランスへ持ち出され、1815年それらはパリ国立図書館にあったことが確認されている。その後、『アトランティコ手稿』はアンブロジアーナ図書館へ戻され、他の12の手稿はフランス学士院図書館に残った。(『パリ手稿』)

一方、レオ-二由来と考えられている手稿が、ウィーンのリットン伯爵からジョン・フォスターへ遺贈され1876年ロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート美術館所蔵となった(『フォースター手稿』)。

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ダ・ヴィンチ永久機関のスケッチ』 アトランティコ手稿 1499年頃

その他、1537年ローマの彫刻家グリエルモ・デッラ・ポルタが所有していた手稿が18世紀前半英国レスター卿トーマス・コークの手に渡った(『レスター手稿』)。さらに1980年アーマンド・ハマーを経て1994年ビル・ゲイツ所蔵となっている。

これら後世に残された手稿は、全体の1/5と推定されているが、「観察する人」ダ・ヴィンチが後期ルネサンスから近代へとつないだ絵画スケッチ及び科学的思考の断片が、そこには残されている。


レオナルド・ダ・ヴィンチ展ー天才の肖像
東京都美術館 2013年4月23日ー6月30日