遥かなる「知」平線

歴史、科学、芸術、文学、社会一般に関するブログです。

鹿島圭介 警察庁長官を撃った男

それ隠れたるものの顕れぬはなく、
秘めたるものの知られぬはなく、
明かにならぬはなし
(ルカ伝福音書


1995年3月30日、国松警察庁長官狙撃事件が発生した。日本警察のトップが狙撃されるという前代未聞の事件だ。しかし、大規模な捜査にもかかわらず2010年3月に時効を迎えた。

このとき、警視庁公安部長は「事件はオウム真理教による組織的な犯行と特定した」という異例の談話を一方的に発表した。
3月20日に地下鉄サリン事件が発生し、22日にオウム真理教関連施設の一斉捜査が行われたから、誰もがオウム真理教による事件だと思ったし、時効となったときの公安部長の談話がマスコミに流れたから、今でも犯行はオウムによるものと思っている人も多いだろう。
モンモもそう思っていた。この本を読むまでは。

 

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【発端】
2002年11月22日、ある男がUFJ銀行押切支店で現金輸送車襲撃を企て、愛知県警に逮捕された。このとき男は、一人の警備員の左足膝を狙って銃撃、弾はズボンの布地部分を貫通した。7.2mの距離からもう一人の警備員の右足下腿部を狙い、射撃。銃弾はふくらはぎを貫通し、左下腿部にも傷を負わせた。

5000万円入りのバッグを奪い逃走しようとしたが、最初に膝を銃撃された警備員に追われ、格闘となって捕まった。捕まえてみれば身長160cmの小柄な72歳の老人だった。

事件について何も喋らなかったが、1956年東京で警官に職務質問をされたとき、警官を拳銃で射殺した罪で無期懲役の判決を受け約20年を獄中で過ごした記録があり、指紋が一致したことから名前がわかった。

男の名前は中村泰。1976年に仮出所したが、その後の足取りは全くつかめなかった。銃を使った類似犯罪事件の照会が警視庁、大阪府警からあったことから、中村泰についての捜査が合同で行われることになった。
2003年7月、事態は大きく動く。

【捜査】
アジトや他人名義の貸金庫から、大量の銃器・弾薬(9ミリ・ショート口径コルト・マスタング自動式拳銃と142発の実包、9ミリ・ルガー口径グロック19型、スターの自動拳銃、スミス&ウェッソン回転式拳銃)、複数の偽造パスポート、アメリカ発行の他人名義の運転免許証、精緻な「変造指紋」、数冊のスクラップブックが発見され、段
ボールには膨大な警察長官狙撃事件の記事やコピーが収められていた。
フロッピーには900の詩編、そのうち30編ほどが長官狙撃事件に関するものだった。

さらにアジトから見つかった鍵で2003年8月、新宿安田生命ビル(当時)の貸金庫を開けた捜査員は息を飲んだ。
コルト・ダイアモンド・バック、チャーター・アームズ・ブルドック、スミス&ウェッソン49型などの38スペシャル口径の回転式拳銃、グロック、ワルサーP88、SIG P226、ベレッタM92などの自動式拳銃、45口径のアメリカン・デリンジャー双銃身拳銃、ミニ・リボルバーなどの拳銃10丁と実弾1016発。KG-9短機関銃サブマシンガン)、ULA短銃身小銃(ライフル)、致死量1000人分以上の青酸カリ、ダイナマイト起爆導火線が出てきたのだ。

警視庁刑事部の捜査により、中村は長官狙撃事件の重要参考人として急浮上し、長官狙撃事件特捜本部に情報が提供された。
しかし捜査本部を主導する公安部は、「長官を撃ったかも知れない」と言ったK元巡査長をはじめとするオウム信者を逮捕すべく動いていたので、この情報を真剣に検討することはなかった。
後に、捜査本部は、「オウム」班と「中村」班の2つのルートで事件を追うことになるが、捜査本部を主導する公安部幹部は「オウム」犯行説で迷走していく。

 

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(上)8インチモデルのコルト・パイソン(長官狙撃に使われたとされるが、スコープの有無は不明)
(下)6インチモデルのコルト・パイソン
Wikipediaより)

【自供】
警視庁捜査一課は、中村への長官狙撃事件への疑念をぬぐえず捜査を続けるが、中村は「否定も肯定もしない」というばかり。しかし2007年秋、とうとう「私が長官を撃ちました」と供述を始める。

事前準備、拳銃、アメリカでも特殊な弾薬の入手ルート、実行状況、その供述は詳細を極め、アメリカでの銃器調査でも中村の供述はほぼ裏付けられた。

実行直前に長官の車が変更になっていたこと、現場で発見された韓国コインの位置、逃走自転車を捨てた場所、そして何より彼が犯人であることを強く示唆する特殊な弾丸等々、マスコミには出ていない本人しか知りえない事実の数々。

英語、スペイン語に堪能でフランス語も少しならでき、東大入学後に左翼運動に関わり窃盗で逮捕。銃器類については「科学捜査研究所の専門官よりずっと詳しい」と豪語し、警察内のオウム情報を得るべく単身警察庁に潜入した時にたまたま警察内の連絡一覧から国松長官の住所を知ったという豪胆な行動力を持った男。
担当教授から「ノーベル賞級の頭脳」と惜しまれながら自主退学した中村泰とは何者なのか。長官狙撃の目的は何か。

読者は、オウム捜査とは比較にならない詳細な中村ルートの事実が調査され積み上げられていたことを知る。

【隠蔽】
この膨大な事実調査を前にしたとき、調査事実から自ずと真実が浮かび上がってくる。事実の持つ圧倒的迫力に読者は圧倒されるだろう。

しかしなぜ公安部は「オウム」に固執したのか。なぜ中村泰を逮捕し起訴しなかったのか。刑事部が捜査を主導していれば状況は変わっていたと思うのはモンモばかりではないと思う。

そして、時効となった時の公安部記者会見の真の意図を著者が明らかにするに及んで唖然としてしまう。
事件がオウムによる組織的犯行とのイメージを社会に大きく喧伝して、それをあたかも事実であるかのように印象付ける。こうすることで、未だ時効まで時間が残されている中村を対象とした捜査を完全に粉砕し、封殺することを目論んだ
(著者)

この国は、C国でもR国でもない。
権力によるプロパガンダなど、戦前の手法だというのに。
言論の自由、事実を事実として見つめる目があれば、あるいは「なぜ」と問う真摯さがあれば、真実は自ずと浮かび上がる。

捜査を主導した公安幹部に自問自答してもらいたい。
「警察とは何か、一部公安幹部のための警察ではない」と。