遥かなる「知」平線

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国民栄誉賞 長嶋茂雄と松井秀喜

「へその辺りに気を集中させて球を待て。
そうすれば必ず打てる球が来る」
長島茂雄
ーどういうことなんでしょう?
「うーん、うまく説明できません。
実はボクもよくわかっていなかったりして」
松井秀喜


先日の5月5日、長島茂雄氏(77)と松井秀喜氏(38)が国民栄誉賞を受賞した。

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2013.5.6 読売新聞

子供時代、地方のTVでは巨人戦しか放送していなかった。ちょうど巨人のV9時代だったから野球の選手といっても、ほとんど巨人の選手しか知らなかった。夕方暗くなるまで近所の仲間と草野球に興じていた子供たちにとって、長島は輝やける存在だった。

長島が現役で活躍した姿は、40歳以下の世代の人は知らないのも当然だろう。松井氏とてまだ生まれていない時代のスーパーヒーローだったのだ。
長島氏は求道者のごとき王貞治氏とともに、巨人V9の主軸を担った。
1958年~1974年までの16年の現役で、通算打率3割5厘、444本塁打、1522打点。MVP5度、首位打者6度、打点王5度、本塁打王2度。

記録が物語るように、ここぞというチャンスで、必ずファンの期待に答えた。
サードの守備位置から、ショートゴロを横っ飛びに奪い、しなくてもいい華麗なジャンピングスローで一塁手に送球した。三振の時にもフルスイングでヘルメットを飛ばした。エラーするときも、三塁ゴロを鮮やかにトンネルした。どんなプレーもファンを魅了した。

時あたかも日本の高度成長期、華やかな雰囲気をまとった長島は、経済成長著しい日本の象徴だったのだ。
初の天覧試合で、ザトペック投法の異名を持つ阪神村山投手から打ったサヨナラホームランは伝説となった。
しかし天才長島の、誰も見ていないところでの素振りの練習を知る人は少なかった。彼の努力を知る人は、陰で努力することを「長島している」と言った。

松井氏について、以前このブログでも書いた。

monmocafe.hatenablog.com


1993年~2002年の10年を日本で、2003年~2012年の10年を米国大リーグでプレーした。日本ではMVP3度、本塁打王打点王を各3度、首位打者1度。大リーグでは2009年のワールドシリーズで日本人初のMVPに輝いた。

ヤンキースでは副主将にもなりチームメイトの信頼には大きなものがあった。手首の骨折、膝の故障と必ずしも好調ではなかったが、黙々とその困難な状況と正面から戦った姿は、アメリカの子供たちにも慕われた。

星陵高校時代、甲子園で5連続敬遠で勝負させてもらえなかったが、相手チームを悪く言うことはなかった。時間を経てこの相手チームの監督だった人は、彼の国民栄誉賞受賞を称えていたという。
もう一度、同じような試合の局面なら、打たれるかもしれない強打者を前に、この監督は連続敬遠はしないのではないかと思う。高校生の松井は、野球というスポーツを通じて、大人の指導者に「勝負する」ことの意味を教えたのだ。

松井氏の現役時代は、ちょうど日本の「失われた20年」に相当する。海を渡り、アメリカで黙々と戦った彼の姿は、困難な状況に直面する日本の姿と重なる。

他人の悪口を決して言わず、己のやるべきことをやる。その姿は、「失われた20年」の日本の若者たちに共感をもたらし、苦境の中にある彼らの支えとなったともいう。
この栄誉賞で、日本の「高度成長神話」と「失われた20年」に区切りをつけ、松井氏にはまた新たな日本の象徴となって欲しいと願わずにいられない。