遥かなる「知」平線

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映画 エクソダス

我は有りて在る者なり
旧約聖書 『出エジプト記』)


エクソダス(Exodus)」という言葉は、①「大勢の人間の脱出」、②モーゼがヘブライ人を率いてエジプトを脱出した所謂「出エジプト」(旧約聖書)を意味する。

随分前に公開されていたのだが、やっと時間を見つけて観ることができた。
映画『エクソダス 神と王』は、リドリー・スコット監督が「出エジプト」を描いた一大スペクタクル映画だ。旧約聖書出エジプト記」の1~20章に相当する部分の映画化になる。
出エジプト」と言えば、チャールトン・ヘストン主演の「十戒」(1956年)を思い浮かべる人も多いだろう。二つの映画を比較して観るのも面白い。

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史実と旧約聖書の内容を織り交ぜてこの映画を少しご紹介しましょう。
時代は紀元前13世紀なのだが、「出エジプト」はラムセス2世(BC1290-BC1224)の次の王メルエンプタハ(BC1224-BC1204)の時代の出来事という説もある。しかし、彼がイスラエルを征服したということが記されている「イスラエルの碑」があるので、この時には既にカナンの地にイスラエルがあった。従ってメルエンプタハの時代ではなさそうだ。

出エジプトの年代については、紀元前1230年、1250年、1260年等諸説あるのだが、いずれにしても大体紀元前13世紀半ば頃の出来事としていいのだろう。
そうすると、旧約聖書では王の名は「パロ」とあるだけなのだが、映画のとおり、出エジプトはラムセス2世の時代の出来事だったと考えていい。

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映画冒頭のヒッタイトとの戦闘場面は、リドリー・スコットならではの、迫力満点の映像だ。まだセティ1世の時代の戦闘なので、ラムセス2世治下の、あの有名なカディッシュの闘いに続いていくことを想起させる。

父王セティ1世のもとで、モーゼとラムセス2世は兄弟同然に育つが、ある日モーゼが、自分がヘブライ人であることを知ったことから物語は始まる。
一旦エジプトを追われ、ミデヤンという地で結婚して子を授かるのだが、ある日神の啓示を受けてエジプトの虐げられしヘブライ人を救うために、妻の制止を振り切って旅立つ。

過酷な奴隷労働をしているヘブライ人をカナンの地へ解放せよ、と王に願い出るが、王はこれを許さない。神は川を赤く染めたり、イナゴやカエル、虻の大群にエジプト人を襲わせたり、と10の災いをもたらす。これらの災いもリドリー・スコットは極力大規模な自然災害のように描く。

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そして、ヘブライ人をカナンの地へと解放しなければ、神が王の子を含めエジプト人の子供をすべて殺すと最後通告し、それが現実になるや王はやっとヘブライ人を解放する。しかし、王はヘブライ人を許さず自ら軍を率いてモーゼらを襲おうと追撃する。

旧約聖書では、紅海を前にモーゼが腕を天にさし上げると海が割れてヘブライ人が逃れるのだが、リドリー・スコット監督は、この奇跡を大きな引き潮で表現し、エジプト軍をその後の大津波で壊滅させる。

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ラムセス2世(ジョエル・エドガートン

 

映画では悪役となるラムセス2世のために言っておくと、彼はエジプト王の中でも偉大な王の一人に数えられる。在位は66年にも及び、90歳まで生きた。カディッシュの戦い(BC1286年)で活躍し、ヒッタイトとの間で平和条約を結んだ。かのアブシンベル大神殿を造営したことでも知られる。

旧約聖書では、モーゼの右腕となるアロンは登場しないし、神がモーゼに与えた「蛇になる」杖も出てこない。エジプトへは妻子を伴って行くが映画では一人でエジプトへ赴く。聖書では出エジプトヘブライ人を率いたモーゼは80歳、その後40年かけてカナンを目指すが果たさず、120歳で死ぬ。後継者ヨシュアが目的の地へヘブライ人を率いる。

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上段;モーゼ、下段;モーゼ(左)、ラムセス2世(中央)

 

十戒』のモーゼ(チャールトン・ヘストン)は、いかにも預言者然としていて、全体的に内容も旧約聖書に近い。が、今回主演のクリスチャン・ベール預言者というより、戦うヘブライ人を組織する軍人というイメージが強い。
映像表現の技術進歩、リドリー・スコットの世界観、旧約聖書を知らずとも楽しめる映画であることは確かだ。