遥かなる「知」平線

歴史、科学、芸術、文学、社会一般に関するブログです。

船橋洋一 カウントダウン・メルトダウン

危機に対応する政策が、
後から見て完璧ということなどありえない。
(ロバート・E・ルービン;クリントン、ブッシュ両政権下の財務長官)

戦いはマニュアルのない世界だった。
仮説を立てる、アイデアを出す、その勝負だった。
船橋洋一 『カウントダウン・メルトダウン』から経産省・安井正也)

 

大きな事件や事故が起こるたび、「自分だったらどうするだろう」とつい考えてしまう。3.11が起こった時もそうだった。これは戦争と同じだ。

自分がもし当事者なら、官邸の意思決定プロセスに米国を関与させる。
米軍に支援してもらい、米政権と一体で対応する。
被害者救出、原発対応は日本の自衛隊が主導する。

だが、実行権限をめぐって官僚機構や根拠法など超えるべきハードルは高いだろうから、仮にそう思う人がいても実現は無理だろう。
最初にふと思ったのは、そうしたことだった。

米軍は「友だち作戦」で、大きな支援をしてくれたし、地震が起こってから一週間以上経って、曲がりなりにも原発対応をめぐり、米国との情報共有をはじめ調整が行われた。所謂、誰からともなく言うようになった『細野プロセス』だ。細野豪志首相補佐官がイニシアチブをとってこれにあたったので、関係者からそう呼ばれるようになったのだ。

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地震が起こってからの日本政府の動きを、膨大な資料とインタヴューを通して描いた船橋洋一著『カウントダウン・メルトダウン 上・下』を、ちょっと前に読んだ。著者は福島第一原発事故の「民間事故調」もプロデュースしているので、ご存じの方も多いだろう。まだ一年は7ヶ月以上あるが、恐らく今年読んだ本のなかで、ベスト本になると思う。

この本に詳しく書かれているように、結局、この国の危機に際して、キーとなったのは自衛隊米国だった。しかしその米国とて、福島第一原発の事故の初期、独自に放射線量を計測していた米海軍は横須賀からの撤退を主張していたのだ。それを米政権が必死で抑え込んだというのが本当のところだ。それでも、米NRC(原子力規制委員会)のチャールズ・カストーを始め、米国の支援は強力だった。

国内でも、日本に原発事故が対応できないのなら、すべて米国に頼んだら、という意見もあった。そんな発言をする政治家や官僚には「同盟」ということの意味がきっと分かっていないのだろう。

いかに同盟国といえども、自国民が戦わない戦争を、当事国に替わって戦うわけがないのだ。米海軍は事実、撤退しようとしていた。

原子力保安院の検査官は早々と現地から逃亡したし、原発への放水をめぐる、消防庁総務省)、警察庁自衛隊防衛省)の対立、政権担当者が知らされていなかった放射能拡散シュミレーションデータ(SPEEDI)をめぐる文部科学省経産省との軋轢など、危機対応の混乱、責任回避、役割の不明確さ、など、およそ想定しうる限りの組織的混乱がそこにあった。

日本は福島原発事故に勇気を持って対応したが、唯一、例外は、保安院の保安検査官の逃亡だった。あれだけはどうしても理解できなかった。米国では、緊急時の場合、常駐検査官がオンサイトで事故対応に当たる。もし、検査官が逃亡すれば即刻クビだ(カスト-)
福島第一原発の吉田所長の奮闘は、以前このブログでも書いた。

monmocafe.hatenablog.com

カスト-は、「実際の事故処理と危機管理」の点では福島第二の増田尚宏所長を「本当のヒーロー」だと称賛した。第二原発も本当はギリギリの状態だった。電源確保のため9キロメートルのケーブルをわずか2、3時間のうちに200人の人間とヘリコプターで敷設してしまった。

カスト-は、「FUKUSHIMA50」(「最後まで第一原発に残った50人」をそう呼んだ)を言うなら「DAINI200」を忘れてはならない、という。
こういう地味な仕事をする現場の人々こそがヒーローなのだ

著者はこの本の最後のほうにこう書いている。
メルトダウンしたのは福島第一原発の原子炉だけではなかった。
東電の経営も、原子力安全・保安院の組織も、原発の安全規制体制も、原子力を推進してきた原子力行政も、それらの知的、ビジネス的、キャリア的結合体である原子力ムラも、残余リスクを「想定外」として捨象してきた原子力の”安心・安全共同体”もみな等しくメルトダウンしていった。

東電は、民間事故調による経営陣・責任者へのヒアリング要請を拒否したという。
リスクとは何か、リーダシップとは何か、国家とは何か。
政治家、官僚、トップマネジメントの必読の書としてもらいたいと願う。