遥かなる「知」平線

歴史、科学、芸術、文学、社会一般に関するブログです。

百田尚樹 海賊と呼ばれた男 永遠のゼロ

たとえ九十九人の馬鹿がいても、正義を貫く男がひとりいれば、
けっして間違った世の中にはならない。
百田尚樹 『海賊とよばれた男 下』 (講談社

(特攻に)「志願せず」と書いた男たちは本当に立派だった・・・
自分の生死を一切のしがらみなく、
自分一人の意志で決めた男こそ、本当の男だった・・・
多くの日本人がそうした男であれば、
あの戦争はもっと早く終わらせることが出来たかもしれない
百田尚樹 『永遠のゼロ』 (講談社文庫)

 

時々このブログでもご紹介していますが、今年は、随分と読み応えのある本に出会っている。今日は百田尚樹の二冊の本をご紹介しましょう。

海賊とよばれた男 上・下』(講談社)から。

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出光佐三の波乱に満ちた生涯の物語である。
小説中では国岡商店(出光興産)の店主・国岡鐵造という名で語られるのだが、太平洋戦争を挟んだ時期の、日本の石油業界が辿った歴史が、そのまま彼の人生に重なる。

戦前、彼の経済活動は、ごく少人数の商店から始まった。
終戦で全て失った時も、本業の石油販売とは無関係のラジオ修理をしながら苦境をしのぎ、社員を一人として首にしなかった。
国内の石油統制に反対し、国際石油メジャーとそれに支配された国内石油会社からの不当な圧力の中、業績を上げ続け、「海賊」と恐れられた。今でも出勤簿もなく、定年もないのか不明だが、外から見れば極めて奇妙な企業に見えただろう。

1953年春、イギリスがアングロ・イラニアン社を通して支配していた埋蔵量世界一を誇る油田を、イランが国有化した時、イギリスは経済封鎖を行い、イランから石油を買うなと世界の石油会社に圧力をかけた。
そんな中、密かに自前のタンカー「日章丸」をイランへ送り、石油を満載してイギリスの影響が及ぶ場所を避けて航海し、日本へ運んだ。外交問題ともなった「日章丸事件」である。イギリスは、日本へ持ち込んだ石油を差し押さえようと裁判を起こしたが、果たせず、外務省も「我関せず」で通した。

その後も、石油供給調整(統制)をしようとする石油連盟を脱退し、石油需要に対応して安定的に石油を供給しようとした。
昭和49年、「モナ・リザ」日本初公開の時、フランス特派大使として来日したアンドレ・マルローが、自ら希望した鐵造との対談で、出勤簿も、組合も、定年もない会社のありように、なぜそれが他の会社でできないのか、と聞いた。
鐵造は、そうした企業は社員を信頼していないから、と答えた。

統制経済を謀ろうとする官界・業界のためでなく、国民・国家のためになるかという判断基準で経営を行った。社員は家族、できが悪いからと言ってクビにできるか。
社員を信頼していれば組合など要らぬ。
企業行動、組織運営など、現在の有り様との距離を測りながら読者は読み進めるだろう。いま、私たちに必要なものは、彼の「海賊」スピリッツとでもいうべき姿勢であるように思う。

そして『永遠のゼロ』(講談社文庫)。

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司法試験浪人の健太郎が、姉と、零戦の搭乗員で終戦の数日前に特攻で亡くなった実の祖父・宮部久蔵のことを調べはじめることから物語は始まる。

真珠湾攻撃から終戦に至るまで、零戦を中心にした海軍の戦争史を背景にして、祖父がいかなる人物であったのかを、祖父を知る零戦パイロットの生き残りを訪ね話を聞きながら浮かび上がらせていく。

「臆病」と言われるほど、生きて還ることを最優先にして出撃して行ったこと、しかし空戦の秘技をも身に付けた凄腕の搭乗員であったこと、特攻には自ら進んでは志願しなかったことを知るのだが、なのに何故、特攻で死んだのか。

日本は、モンモの知る限りでは、あの戦争の総括をしていない。
約4400名の特攻で死んだ搭乗員は、その半数は大学から召集した学生(飛行予備学生)だった。戦争指導部は、その技量未熟な若者たちを、爆弾を抱えて敵艦船に体当たりを行うだけの最低限の訓練を短期間で行い出撃させたのだ。

戦争末期、零戦はもはや無敵ではなく、米国はF6FヘルキャットP51VT近接信管による対空砲火、高性能レーダーなどテクノロジーでも日本海軍を凌駕していった。爆弾を抱えたまま米艦船に辿りつくことすら極めて困難であったのに、技量未熟な若者たちは「志願」という強制によって特攻を命じられたのだ。

ガダルカナルマリアナ沖縄と、天皇終戦の聖断を下すまで、日本の戦争指導部は、自分たちが起こした戦争の始末を自らつけることをしなかった。
責任をとらなかったのだ。
今の日本にも通じる問題を浮き彫りにしながら、健太郎はついに、祖父が特攻に出撃した理由、衝撃の真実に出会う。

宮部久蔵という零戦パイロットのモデルがいたかどうか分からないが、この物語をとおして作者は、戦争の時代に生き、戦争指導者の無能にも関わらず、その時代から逃げずに懸命に生きた若者たちを描きたかったのだろう。

昔、特攻で死んだ彼らと同じ歳のころ、友人から借りて読んだ『聞けわだつみの声』という本をなぜか思い出した。彼らは、決して天皇のため、国家のために死んでいったのではないことを改めて思い返す。
12月に、映画が公開されるそうだ。