遥かなる「知」平線

歴史、科学、芸術、文学、社会一般に関するブログです。

佐藤優 人間の叡智

真理は常に匿名性の下に現れる。

日本が元気に立ち直るためには、・・・
国民を統合する物語をつくりだすしかない・・・
そして、目に見えないものに想いをはせる。
それが叡智に近づく唯一の道だ
佐藤優『人間の叡智』文春新書 2012年7月)


ロシアや中国に関する報道を見ていると、大戦前の「帝国主義」の時代を思い浮かべてしまう。遅れてきた帝国主義国家であると。

ロシアは欧米からの批判をかわすために、旧ソ連KGB的手法で住民投票による民主主義を偽装してクリミア半島を支配し、さらにロシア軍を東部ウクライナ独立支持グループに偽装して侵入させウクライナ東部を掌中にしている。旧ソ連時代の勢力圏を回復しようと「プーチン王朝」は「強いロシア」の構築を目指している。

マルクスレーニンを学んでいるはずなのに、中国は共産主義が何なのか分かっていないのではないか」と、つい笑ってしまうのだが、日本帝国主義復活を批判しながら、既に資本主義化した中国は南シナ海東シナ海へ進出し、アジア諸国を巻き込んで独自の経済圏を創ろうとしている。

「世界に冠たる中華帝国復興の夢」は、なぜか「大東亜共栄圏」を夢見たかつての日本と二重写しに見えてしまう。
中国の経済は鄧小平の改革開放経済を始めて以降、実態は資本主義経そのものだし、政治的には共産党一党独裁の「共産主義王朝」が社会・経済を支配する「国家独占資本主義」(アンチ社会・共産主義としての国家独占資本主義ではないものの)と言ってもいいのではないか、などと日頃思っていたのだが、マスコミに登場する評論家・コメンテーターからはこうした言説を聞くことはなかった。

ダ・ヴィンチの記事を書こうとして下調べをしている合間に、何の脈絡もなく佐藤優人間の叡智』(文春新書2012年7月)を読んでいたら、なんだ同じように考えている人がいたではないか。しかも深く、論理的に。

 

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名前は知っていて、いつか読もうとは思っていたのだが先ずは一冊手始めにとこの本を読んでみたのだった。
著者によれば、レーニンが規定した古典的「帝国主義」とは少し違うが、この世界は「新帝国主義」の時代だという。自分の国の利益しか念頭にないむき出しの弱肉強食に変わりないが、政治的経済的コストが高い大規模な戦争は避け、やりすぎると国際的批判を浴びるから、その時はちょっと手を引き、妥協に転じるなど昔の帝国主義とは違うのだと。

2012年7月発行の本だから、ロシアのクリミア半島奪取や、中国の力づくの南シナ海進出がまだあからさまではなかった。
今の状況に即して見れば、小競り合いや小規模戦闘はあっても、全面的戦争をできるだけ回避して話し合いで利害を調整して生き残っていこうとするやり方は、著者が言っていることの延長線上にある。

新帝国主義にはルールがあって、やりすぎて「相手が猛然と反撃してきて、国際社会において少しやり過ぎだとみなされた場合には、(本心はともかく自国に不利だから)国際協調に転ずることもありうる」。

アメリカ、ロシアはよくわかっているのだが、日本はこのルールがよくわかっておらず、中国は、どこまでわかっているか怪しくて、やり方が非常に稚拙だという。

 

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第一次大戦の仏軍 バーバラ・W・タックマン『八月の砲声』筑摩書房 1965年)

とまあ、現在の世界のありようを分かり易く解説してくれるものとしては出色だと思う。加えて、この混迷の世界を生き抜く指針をも伝えてくれる。
私たちはどうすればよいのか。

トラブルに見舞われ続けた小惑星探査機「はやぶさを地球に帰還させたチームのように、東電本社のことなかれ主義と違って現場で奮闘した福島第一原発の技師たちのように、個別の専門領域で一生懸命にやる。それぞれの仕事に内在する論理をきちんと見て、それによってポピュリズムを超えよ。

読書人階級を再生せよ。読書階級とは本来、小説や歴史書などの物語、思想書哲学書などの古典を読む人だ。新書を読むような人は読書人階級に属していて他の人と少し違う。ものごとの理屈とか意味を知りたいという欲求が強い。日常的に読書する人間は特殊な階級に属しているという自己意識を持つ必要がある

読書人口はどの国でも総人口の5%程度だから、日本では500~600万人。その人たちは学歴、職業、社会的地位に関係なく共通の言語を持っている。
そして、その人たちによって、世の中は変わって行く。

 

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第一次大戦の英軍 『戦争の世界史大図鑑』)

古典を最低2つ読め。時代を継いで読まれて、常に一定の読者がある知的な遺産には、それなりの筋道、理屈が備わっていて、一度それを身に着けると、その古典の論理を使って、全く別の現象も説明できるようになる。複数の古典で復元思考を行えば、物事を立体的に見ることができる。

長い小説、あるいは歴史書を読め。物語類をきちんと読み、経験できないであろう状況を追体験することで、自分の幅を広げよ。新帝国主義の時代に生きる上で必要なのは、案外に小説的な教養だ。

物語が大事なのは、われわれは常に過去の物語を知ることしかできず、過去の物語を知ることによって、現在の物語を形成していくからだ。

久しぶりに本当のエリートの、誠実で力強い言葉に触れた感がする。
著者が外務省という器に納まりきれなかったことを、日本のインテリジェンス・コミュニティのために惜しむが、今後も著作活動を通して日本の方向づけに貢献してくれるものと大きな期待を寄せたいと思う。