遥かなる「知」平線

歴史、科学、芸術、文学、社会一般に関するブログです。

未来と現在を計測する歴史

生きとし生くる者みなすべて、歴史を知らねばならぬ。…
正しく、…深く。…いついかなる時代に生くる者も、
みな歴史上の一人にちがいないからである。…

おのれの歴史的な座標を、常に認識する必要があるからである。
おのれがいったいどのような経緯をたどって、ここにかくあるのか。
父の時代、祖父の時代、父祖の時代を正確に知らねば、
おのれがかくある幸福や不幸の、その原因も経緯もわからぬであろう。
浅田次郎 『中原の虹 4』 講談社 2007年)


過去を昔へ振り返るほど、遠くの未来が見えてくるだろう。
ウィンストン・チャーチル

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随分前になるが、会社の後輩と40日間ほど、アメリカへ研修をしに行ったことがあった。研修といっても、様々な企業にアポイントを取って、その企業の事情をヒアリングしてくるというもので、私たちはそれを、「サバイバル研修」と呼んでいた。

ニューヨーク、ワシントン、コロンビア、ボストン、フィラデルフィア等々。
「40日間、自分たちで、生き抜いてきてね」という、なんとも大雑把なものであった。

【米国での問い】

研修(会社訪問)の合い間に、アメリカの史跡や博物館などを見て回っていたが、歴史好きな私に、その後輩が「なぜ歴史を学ぶんですか」と、なんともストレートに聞いてきた。

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リンカーン像;ワシントンD.C)

あら、まあ・・・。
ひょっとしたら、今の高校生も同じような質問を、歴史の先生にしているかも知れない。歴史の先生方、ちゃんと生徒に答えられているだろうか。

その時、なんて答えたか、定かには覚えていないのだが、おそらく
「現在をよく知るために」
といったようなことを、答えていたのではないかと記憶している。

ハヤブサ

しかし、後輩のその問いを、ずっと覚えていたということは、その時満足に答えられなかったのだろう、という気がしてならない。きっと無意識のうちに、彼の問いは、私の問いとなっていたのだと思う。

昨年、小惑星探査機ハヤブサが、イトカワに着地してサンプルを採取し、再び舞い上がって地球に戻ってきた。6億キロの壮絶な旅を終えて、無事イトカワのサンプルを大気圏に放出して燃え尽きた。
大きなニュースになっていたから、覚えている人も多いだろう。

このハヤブサと地球との通信には、往復で30分もかかり、ちょっとした処理を行えば40分もかかってしまう。地球からの指令を待っていたら、ハヤブサイトカワに着地できなくなってしまう。秒速30キロで公転しているイトカワだから、1秒通信が遅ければ、体長500メートル幅300メートル程の大きさのイトカワに、着陸などできない。

ハヤブサイトカワに対する距離の測定や、姿勢制御を自分でできるようになっている技術の粋を集めたロボットであったのだ。

イトカワに近づいて降下を始める時は、短距離レーザー高度計を使う。3本のレーザー光を使い、自分との距離、傾きを計測する。それによって、イトカワに対する自分の位置を知り、自動的に自分の相対位置を認識して小惑星へ降り立つ。自分の「計測器」で、周りの環境を計測して状況を認識し、判断を行うロボット。

【過去からの視線】

塩野七生さんのローマや、ヴェネツィア、ローマ後の地中海世界、十字軍などの歴史を読んでいると、遠くの過去から、現在という未来を見ている錯覚に陥る。過去に居て、現在を見ている。だから、現在を知っている過去の人間からみれば、「どうして、あなたたちは、そのように行動するのかしら」と、現在という未来に生きる人間の行動に疑問をもってしまう。

そう考えると、「どうして人間は、過去の過ちを繰り返すのか。」という問いに対しては、次のように答えられるかも知れない。

歴史を知らなければ人間は、「過去」を生きていないから、過去の失敗を「現在(未来)」に活かすことができない。もし「過去」を、(歴史を学ぶことで)生きるなら、「現在」の人間の過ちを少なくすることはできるかもしれない。

少なくとも、その可能性を持つだけでも、現在を生きる私たちには歴史は大切な「道具」となる。

【歴史の計測器】

短距離レーザ高度計と同じく、私たちが「人間の現在」を測る計測器こそ、「歴史」なのではないか。それによって私たちは、小惑星ならぬ現在に「降り立つ」ことができる。

計測器はしかし、何秒後かの自分の位置を予測して、「未来」の位置に自らを運ぶべく制御する。「現在」を知るとは、「未来」を知ることでもある。いわば、「未来」は「現在」の微分なのである。

過去から見れば、現在も未来も等しく「未来」であるに過ぎない。
だから、歴史(過去)を学ぶのは、「人間の現在と未来を知り、人間の過ちを極小化するためである」と、云うことができるのではないか。

これが、かつて後輩が、私に問うた、「なぜ歴史を学ぶのか」という問いに対する、いまひとたびの答えである。

(追記)オリジナル記事に画像を追加しました。(2019年4月30日)