遥かなる「知」平線

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ダ・ヴィンチ 最後の晩餐

十分に終わりのことを考えよ。
まず最初に終わりを考慮せよ。
(ダ・ヴィンチ

 

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ダ・ヴィンチ 『最後の晩餐』 ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会
(縦4.5メートル、横8.8メートル壁画)

 

「汝らのひとり、我を売らん」イエスが、そう言った瞬間を描いた。

「レオナルドは使徒たちの疑念や不安を完璧に表現してのけた・・・彼らの顔には、
愛と恐怖、怒り、悲しみ、とまどいがありありと表れている・・・」(ヴァザーリ

「これは我が身体、これは我が血」と、弟子たちにパンを与え、葡萄酒を注いだ。

エスはユダにパンを与えたとき、「今からしようとすることをなせ」と言った。
絵のなかでユダは、金の入った袋を右手で握っている。

絵を描くダ・ヴィンチのこんな逸話が、ヴァザーリルネサンス画人伝』に残っている。

 

この修道院の院長は、さかんにダ・ヴィンチに早く絵を描くようにと執拗に懇請する。
ときには半日も絵の前でぼんやり物思いに耽っているのが異常に思えたのである。

そして、画家も地面を鋤く庭師のように、画筆を休めず制作するすることを望んだ院長は不満に思い、ミラノ公に苦情を言ったが、その訴えがあまりに強い調子だったので、公も仕方なくレオナルドに作品を完成するように頼み、院長がしつこく言うので、と語った。

レオナルドはミラノ公に、言う。
「高い才能をもつ人は、実際に働いていないときこそ、かえってより多くの仕事をしている。
頭のなかで創意を求め、完全なる観念を形づくろうとするからである。まず脳裡で構想し、次に手を動かすことになる。」

まだユダの顔が描けていないことに関して、

「主を裏切ろうとしている顔がどんな顔になるのか・・・最後にどんな顔にしていいかわからない時には、修道院のあの頑なでわきまえのない院長の顔を忘れないようにしましょう」と述べた。

それを聞いてミラノ公は大笑いし、「それはもっともなことだ」と言った。
こうして憐れな院長は・・・レオナルドを悩ませることはなくなった。


【出典】
佐藤幸三 『モナ・リザはなぜルーヴルにあるのか』 実業之日本社 2011年
レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』 岩波文庫 杉浦民平訳
B・アータレイ、K・ワムズリー 『ダ・ヴィンチ 芸術と科学の生涯』 日経ナショナル ジオグラフィック社