遥かなる「知」平線

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ドラッカー 人生7つの指針

いつも失敗してきた。
だから、もう一度挑戦する必要があった。
(作曲家 ヴェルディ 80歳の時の言葉)

本当に知られるに値することは、
人を素晴らしい人に変えることである
(P.F.ドラッカー

 

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書店の経営学のコーナーには、ドラッカーの本がたくさん並んでいるのを見た人も多いだろう。言わずとしれた「経営学の神様」として、「マネージメント」を最初に提唱した人として、日本では信奉者が多い。
ビジネス書やノウハウものはほとんど読まないが、何故かたまたま彼の一冊の本を手に取った。

プロフェッショナルの条件』という本である。

この本全体の内容の紹介ではなく、ドラッカー自身の人生の指針となったエピソードをご紹介いたしましょう。経営学とは無縁な方にも印象的な話しだと思います。

『プロフェッショナルの条件』、パート3、第一章「私の人生を変えた七つの経験」より。

1.ヴェルディ

高校を卒業して商社に見習いとして勤め始めたドラッカーには、仕事は恐ろしく退屈だったが、自由な時間だけはたくさんあった。大学の夜学に通っていたので、週一回は、ハンブルクオペラ座で、オペラを聞いていた。

ヴェルディが1893年に書いた最後のオペラ「ファルスタッフ」に圧倒された。
ヴェルディ80歳の作品である。

18歳のドラッカーは、なぜ既にワーグナーに肩を並べる身であるながら、並はずれて難しいオペラを、80歳という年齢で、もう一曲書くという大仕事に取り組んだのかという問いに答えるヴェルディの言葉を知る。

いつも失敗してきた。だから、もう一度挑戦する必要があった。

ドラッカーは、この言葉を忘れたことがない。
それは、彼の心に消すことのできない刻印となった。

その時、ドラッカーは、一生の仕事が何になろうとも、ヴェルディのその言葉を道しるべにしようと決心した。いつまでも諦めずに、目標とビジョンをもって自分の道を歩き続けよう、失敗し続けるに違いなくとも完全を求めて行こうと。

2.フェイディアス

ギリシャの彫刻家フェイディアス(BC440年頃)は、アテネパルテノン神殿の屋根に建つ彫刻群を完成させる。それらは、現在でも西洋最高の彫刻とされている。

だが、彫刻の完成後、フェイディアスの請求書に、アテネの会計官は支払いを拒む。「彫像の背中は見えない。誰にも見えない部分まで彫って、請求するとは何ごとか」と言った。

フェイディアスは次のように答えた。
そんなことはない。神々が見ている

既にドラッカーは、ヴェルディが「フォルスタッフ」を書いた歳を超えていたが、今日に至るも到底そのような域に達していないと言いつつ、しかし彼は、神々しか見ていなくとも、完全を求めていかなければならないと、その時以来肝に銘じた。

3.一つのことに集中する

ハンブルクからフランクフルトに移り、証券会社で働いたが、1929年の大恐慌で会社はつぶれる。20歳の時、そこの新聞社に金融・外交の記者として働き始め、大学もフランクフルト大学へ移る。

新聞の最終版が印刷に回される14時15分以降、夜までの時間を使って何が何でも勉強することにした。国際関係、国際法、諸々の制度・機関、歴史、金融など。

やがて彼は、一時に一つのことに集中して勉強するという自分なりの方法を身につけ、以降ずっとその方法を続けた。
次々に新しいテーマを決める。統計学であったり、中世史であったり、日本画であったり、経済学であったりする。

もちろん、完全に自分のものにするすることはできないが、理解することはできるようになる。そうやって、かれは60年以上にわたって、一時に一つのテーマを勉強するということを続けてきた。

知識を仕入れただけでなく、新しい体系やアプローチ、或いは手法を受け入れることができるようになった。勉強したテーマのそれぞれに、それぞれ別の前提や仮定があり、別の方法論があった。

4.定期的な検証と反省

記者時代、編集者で優秀なジャーナリストだった先輩と、年に2度、半年間の仕事ぶりについて話しあった。
「優れた仕事」⇒「一生懸命やった仕事」⇒「一生懸命やらなかった仕事」⇒「お粗末な仕事や失敗した仕事」、の順に。

そして、「集中すべきことはなにか」「改善すべきことはなにか」「勉強すべきことはなにか」を話し合った。
アメリカにわたって、10年ほどしてこれを思い出し、それ以来毎年夏に、2週間ほど自由な時間を作り、それまでの一年を反省することにしている。

5.新しい仕事が要求するものを考える

ロンドンへ渡り保険会社で証券アナリストをやった後、投資銀行エコノミストをやることになった。そして、創立者からある時呼ばれ、こう言われた。

証券アナリストをやりたいのなら、そのまま保険会社にいればよかったではないか。今の仕事で成果を上げるには、一体なにをしなければならないとおもっているのか」

10年、15年にわたって有能だった人が、昇進するにつれなぜ急に凡人になってしまうのか。原因は、彼の時と同じに、新しい任務についても、前の任務で成功していたこと、昇進をもたらしてくれたことをやり続ける。そのあげく、役に立たない仕事しかできなくなる。

新しい任務で成功するうえで必要なことは、卓越した知識や卓越した才能ではない。それは、新しい任務が要求するもの、新しい挑戦、仕事、課題において重要なことに集中することである。

少なくとも、ドラッカーの経験では、このことを自分で発見した人はいない。
誰かが言ってくれなければわからないことである。

6.書きとめておく

15世紀~16世紀にかけてのヨーロッパを勉強していたとき、カトリック社会のイエズス会プロテスタント社会のカルヴァン派の2つの機関が奇しくも全く同じ方法によって成長していたことを知る。

それは、何か重要な決定をする時に、その期待する結果を書きとめる決まりになっていて、一定期間の後、実際の結果と比較するということだった。

それによって、「自分は何がよくできるか、何が強みか」を知ることができた。
また、「何を学ばなければならないか、どのような癖を直さなければならないか」そして、「どのような能力が欠けているか、何がよくできないか」を知ることができた。

ドラッカーは、この方法を50年以上続けた。

この方法は、「強みは何か」という、人が自らについて知ることができる最も重要なことを明らかにしてくれる。「改善すべき点も」、さらに、「自分ができないこと、従って行おうとしてはならないこと」をも教えてくれる。

「自らの強みが何か」を知ること、「その強みをいかにして強化するか」を知ること、そして「自分には何ができないか」を知ることこそ、継続学習の要である。

7.シュームペータ

1949年のクリスマス、75歳になっていた父と、66歳になっていたかの有名な経済学者シュームペータに会いに行った。父はオーストリアの大学で経済学を教えていて、秀才シュームペータに会って以来、長年の友人となった。病にあった彼を見舞いに行ったのだ。

シュームペータは30歳のころ、「ヨーロッパ一の美人を愛人にし、ヨーロッパ一の馬術家として、そして恐らくは、世界一の経済学者として知られたい」と言っていた。
それを知っていた父は、彼に「自分が何によって知られたいか、今でも考えるか」と聞いた。

皆笑ったが、彼は「今は一人でも多く優秀な学生を一流の経済学者に育てた教師として知られたい」と答えた。

「アドルフ(父の名)、私も本や理論で名を残すだけでは満足できない歳になった。
人を変えることができなかったら、何も変えたことにはならないから
彼は、その5日後に亡くなった。

忘れることのできないこの会話から、ドラッカーは、3つのことを学んだという。

①人は何によって人に知られたいかを自問しなければならない
②その問いに対する答えは、歳をとるにつれ(成長に伴って)変わっていかねばならない
③本当に知られるに値することは、人を素晴らしい人に変えることである

【出典】
P.F.ドラッカー 『プロフェッショナルの条件』 ダイヤモンド社 2000年